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お礼参り殺人事件の編集履歴

2023-10-19 03:47:46 バージョン

お礼参り殺人事件

おれいまいりさつじんじけん

1997年(平成9年)4月18日夜に東京都江東区大島六丁目の団地で発生した殺人事件。正式名称は『JT女性社員逆恨み殺人事件』

概要

1989年(平成元年)12月に強姦致傷事件などを起こし、懲役7年の刑に処された男M(本事件当時54歳)が、同事件の被害者である女性A(本事件当時44歳:日本たばこ産業 (JT) の社員)が被害を警察に届け出たことを逆恨みし、その報復として出所後にAを刺殺した事件である。本事件はマスメディアにより「お礼参り殺人事件」などとして大きく報道され、近隣住民に恐怖感を与えるとともに、一般社会にも大きな不安感・衝撃を与えた。


事件の背景

本事件の犯人である男M(本事件当時54歳:殺人で懲役10年に処された前科あり)は、1989年12月、JTに勤めていた女性A(当時37歳)に対する強姦致傷事件を起こした。

12月19日1時ごろ、江東区大島六丁目のバス停付近(後の事件現場付近)で、タクシーを待っていたところ、タクシーから下車する女性Aを見掛けた。Aは当時、やや酒に酔っており、Mから飲食に誘われるとそれに応じ、自宅である大島六丁目団地から徒歩2、3分の距離にある飲食店でともに酒を飲み、2時ごろに退店した。この時、MはAから「どこに住んでんの?」「仕事は何?」などと聞き、彼女が大島六丁目団地で1人暮らししていることを聞き出している。同団地は、7棟(2,000戸以上)からなる団地だった。


その後、MはAをホテルに誘うが、Aはこれを拒否し、自宅とは別方向に歩いて行った。しかし、MはAから拒絶されてもなお、つきまといながら誘い続け、Aが団地脇の暗がりに差し掛かったところ、突然抱きついてキスを迫った。Aは拒否し、Mの腕を振り払って逃げようとしたが、Mは路上でAの首を両手で強く絞めつけ、失神させた上で、付近に落ちていた電気コードでAの首を強く絞めるなどの暴行を加え、Aを強姦した。強姦中にAの首を絞めた理由は、性的快感を高めるためで、Aは首に全治約2週間の怪我(頚部縊創など)を負った。


Aを強姦した後、MはAの財布などが入ったショルダーバッグ1個を盗み、失神した状態のAを半裸のまま戸外に放置して逃走した。また、そのショルダーバッグの中に入っていた手帳などから、Aの電話番号を知ることになる。その後、Aは失神して現場で倒れているところを通行人に発見されたが、意識を回復してからも自分が強姦されたかどうかも判然としていない状態で悩んでいた。しかし数日後、Mは強姦したことを種にAから金を喝取しようと考え、Aに電話した。その電話の内容は「あんたの出方次第では、強姦されたことを会社の人に言うよ」「君の秘密を10万円で買ってくれ」「警察に言えばどんな目に遭うかもしれないぞ」というもので、同月29日10時、A宅(大島六丁目団地)の最寄り駅である大島駅(都営地下鉄新宿線)の改札口付近で現金を受け渡すよう指定した。


Aは強姦されたことを家族らにも打ち明けず、独り自分の胸の内に隠し通そうとしていたが、勇気を奮い、警視庁城東警察署に被害届を出したため、Mは同月29日、現金の受け渡し場所に現れたところ、張り込んでいた捜査員によって逮捕された。この事件で強姦致傷・窃盗・恐喝未遂の罪に問われたMは、1990年(平成2年)3月13日に東京地方裁判所で懲役7年の刑に処され、同月28日付で判決が確定。札幌刑務所に収容された。


Mはこの事件で逮捕されて以降、表面上は反省の態度を見せていたが、実際には逮捕された直後から、「Aが警察に届けないという約束を破ったからだ」「Aは自分を裏切った」と決めつけ、Aに激しい憤りを覚えるとともに、自分の言葉が脅しではないことを思い知らせなければならないなどと考え、出所した暁には恨みを晴らすためにAを殺害しようと決意した。また、判決を言い渡された直後に東京拘置所で、同房の未決囚から懲役7年の刑について「普通より1年か2年重い」と言われたことや、そのような重い刑を気候の厳しい札幌刑務所で受けることになったことから、「Aが自分を裏切って警察に届け出たから、自分はつらい思いをしなければならなくなった」などと恨みを募らせ、服役中も一貫して、出所後にAを殺害しようという決意を持ち続けていた。そして、服役中もAに対する恨み辛みを晴らすことが出来ず、出所後も自身を刑務所行きにさせ、人生の大半を獄中に過ごす羽目になったAを許す事は更々無く、Aにも自身の辛さを味合わせるために遂にAへの殺人を決意する。なお、Mは7年間の服役中、計13回の懲罰を受け、服役中の大半を独居房で過ごしていた。


決行

Mは1997年2月21日、札幌刑務所を満期出所すると、同日中に札幌駅から上野駅行きの夜行列車に乗車し、翌22日朝に上野駅に到着。同日、母が住んでいた船橋市内の県営住宅に身を寄せ、翌23日、強姦致傷事件を起こした夜にAから聞き出した言葉を頼りに、大島六丁目団地へ行き、2号棟1階にあった集合郵便受けを見てAの名前を探したが、同日は見つけられなかった。Mは同日を含め、「住人でもない自分が〔Aの居室を〕調べ回っていると怪しまれる」と考えたため、1日1棟に限定し、7棟(2,000戸以上)からなる大島六丁目団地で、各棟1階の集合郵便受けを調べ続けた。


一方で同月24日以降は、かつて勤務したことのある設備会社(東京都墨田区錦糸)で土木作業員として働くようになり、同年3月1日、休憩時間中に作業現場付近のディスカウントショップで、Aの殺害に用いる凶器として包丁(刃体の長さ約20.9 cm)1本とペット用ロープ2本を購入。当時は殺害方法について、包丁で刺し殺すという手段だけでなく、絞殺も考えており、ロープはそのための凶器として用意したものだった。その後、Mは錦糸の設備会社を辞め、同月14日以降は江戸川区内の建設会社で社員寮に住み込みながら、建設作業員として働き始めたが、同月16日ごろには仕事の休みを使い、再び大島六丁目団地でAの住居を探した。この時もAの名前は見つけられなかったが、同年4月7日ごろにも再び仕事の休みを利用して団地へ行き、1号棟1階の集合郵便受けを見て回ったところ、410号室の郵便受けに「A」と表示されていることを確認した。Aの住居を突き止めたと思ったMは、「5月の連休になればAが不在になる虞がある」と考えたため、その前に殺害を実行することを考えた。その実行日は4月18日で、殺害方法は、Aが出勤もしくは帰宅する途中を狙って包丁で刺殺するというものだった。


4月13日ごろ、Mは滑り止めの目的で包丁の柄の部分に黒いビニールテープを巻き付けたほか、17日ごろには包丁を持ち運ぶ際に隠すため、生活情報誌を使って包丁の鞘を作った。また、犯行後に社員寮を引き払うことを考え、衣類の一部を手提げ袋の中に入れ、本八幡駅(千葉県市川市)のコインロッカーに預けた。


そして、事件当日の4月18日6時45分ごろ、Mは鞘に入れた包丁を持って社員寮を出て、大島六丁目団地に向かった。7時30分ごろ、Mは1号棟410号室前に到着すると、玄関の表札を見てAの住居であることを確認したが、室内の明かりでAがまだ在室していると考え、人目につかないよう、同室から十数メートル離れた1号棟4階北側の非常階段の踊り場で待機した。そして、Aが部屋から出てきたところを狙い、エレベーターに乗る前に殺害することを決め、その前に7年前の強姦致傷事件の被害者Aであることを本人から確認した上、「約束を破って警察に届け出た恨みを晴らしに来た」と伝えるという手順を決めた。8時ごろ、Aが部屋から出てきたため、Mはすぐに彼女の後を追い掛け、背後数メートルまで近づいたが、エレベーターホール横の中央階段付近から、階段を降りてくる人の足音が聞こえた。目撃されることを恐れたMが一瞬怯んで立ち止まったところ、Aはその間にエレベーターに乗り、そのままタクシーで団地を発った。


21時過ぎごろ、Mは団地内の広場付近を1号棟に向かって歩いてくるAの姿を見つけたため、エレベーターに乗って1階まで下りた。1階に到着すると、開いたドアの先にAが立っていたため、Mは「殺害するのに良い機会だ」と考え、エレベーターに乗ったまま、Aが乗り込んでくるのを待った。そして、エレベーターに乗ったAに「何階ですか」と声を掛け、「4階をお願いします」という返答に応じて4階のボタンを押した。エレベーターが上昇を始めると、Mは「Aさんですか」と尋ね、彼女がA本人であることを確認した後、「俺のことを覚えているかい」と話し掛けた[3]。Aは思い出しかねる様子で、首を傾げながらMの顔を見ていたが、Mは隠し持っていた包丁の柄を右手で掴み、鞘からゆっくり引き抜きつつ、「7年前の事件のことは覚えているか」と低い声で脅した。これに対し、Aは悲鳴を上げながら、突然Mに飛び掛かり、Mの右手から包丁を奪い取った。エレベーターが4階に到着してドアが開くと、AはMから奪い取った包丁を手にしたままエレベーターから降り、「助けて、殺される」などと大声で叫びながら、4階エレベーターホール北側の壁際まで後ずさりしていった。このようなAの思わぬ抵抗に動揺したMだったが、「Aを殺害する機会は今しかない。少しくらい怪我をしてでも殺害しよう」と考え、自分を近づけまいと小刻みに包丁を突き出すなどしていたAに飛びつき、エレベーターホール北側の壁に抑える蹴ると、その左手から包丁を奪い返した。そして、包丁でAの左下腹部・腹部中央部・右胸・左胸を続けざまに力いっぱい突き刺し、心臓に達する致命傷を負わせた。なお、Mは殺害後の際に「ざまあみろ!思い知ったか!」と捨て台詞を吐き、逃走した。


その後、Aの手から落ちたハンドバッグを盗み、そして階段を降り、凶器の包丁を携え、大島駅付近から約3 km離れた船堀駅(都営地下鉄新宿線)付近までタクシーに乗車して逃走したが、その料金はAから盗んだ現金で支払っていた。なお、事件直後に現場で確認された犯人の血痕(Aと異なる血液型の血痕)は、現場である4階エレベーターホールから大島駅構内まで続いていたため、Mはいったん駅構内に入ったが、地下鉄での逃走を断念してタクシーで逃走したと推測されている。また、凶器の包丁やAから奪ったハンドバッグなどは、自宅付近にあった駅のコインロッカーに隠した。


逮捕

Aの悲鳴を聞いた4階の住人が110番通報した。この通報者は、壁に背をつけ、大量出血して倒れているAを見て「大丈夫ですか」と声を掛けたが、この時点でAは既に虫の息であり、22時39分ごろ、東京都立墨東病院(東京都墨田区江東橋四丁目23番15号)で失血死した。


警視庁捜査一課と城東警察署は殺人事件として、特別捜査本部を設置。現場の状況から、Aがエレベーターから降りた直後に襲われたことが推定され、また傷が心臓まで達していたことなどから、Aに恨みを抱いていたものが待ち伏せして殺害した疑いが強いと見て捜査を進めたところ、Mが捜査線上に浮上。また事件直後、不審な男が大島駅付近から船堀駅付近までタクシーに乗車していたことが判明したが、タクシー運転手の証言から、その男はMに似ていること、そしてそのタクシーの座席カバーなどに付着していた血痕は、殺害現場付近(大島駅までの路上など)に遺されていた血痕と同一人物のもので、かつMと同じ血液型であることも判明した。このことから、特捜本部はMの行方を追いつつ、現場に残された掌紋などからも、Mの犯行を裏付けた。そして4月26日午後、Mは船橋市の自宅に戻ったところ、張り込んでいた捜査員によって発見され、同日夜に殺人容疑で逮捕された。東京地方検察庁は1997年5月16日、Mを殺人罪で東京地方裁判所へ起訴した。


逮捕後、東京地裁の一審で死刑判決が下されるがMはすぐさまに控訴し、東京高裁の二審で上告するも判決は死刑だった。それでも諦めきれなかったMは再び控訴し最高裁での三審でも上告するが最終判決は死刑のままだった。これにより、Mの死刑判決が正式に確定した。


その後、死刑囚(死刑確定者)となったMは2008年(平成20年)2月1日、鳩山邦夫法務大臣が発した死刑執行命令により、収監先の東京拘置所で死刑を執行された(65歳没)。


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