フェルメール
ふぇるめーる
概要
オランダ絵画黄金期を象徴する画家でありながら、彼に関する彼自筆の書簡、デッサンなどが殆ど残っておらず、謎多き画家としてその生前の素性を知る手がかりは少ない。
生涯、故郷デルフトを離れることがなかったとされるが、ローマに旅行、又、画家修業のために数年間滞在していたとされる。
21歳で地元の画家ギルド、聖ルカ組合に加盟。初期に宗教画を少数描いた後、風俗画に転向。フランドル画家、他のオランダ画家にはない、独特の「静謐さ」を描き出す数々の手法、技巧について、20世紀スペインの画家ダリは「フェルメールには完璧なものをより完璧にしようという熱狂があった」とコメントしている。
又、手法と道具について、カメラ・オブスクーラを用いていたとされる。この道具を使っている内に彼が編み出したレンズのピントがぼけて生じる光を描き出すポアンティエは彼独自の表現技法である。又、従来から聖母の衣装にだけ使うウルトラマリンを大胆に使用したことから、この色を「フェルメール・ブルー」と呼ぶこともある。
彼に影響を受けた画家は非常に多く、ゴッホは「フェルメール作品でとりわけ特徴的なのは、レモン色、濃い青、明るい灰色だけの微妙な階調で構成された作品である。ヴェラスケスが黒、白、灰色、ピンク色で構成したように」と語っており、他にも多く言及し、或る説では「ゴッホの青色はフェルメールに感化されて使われたものである」とされるものもある。加えて、印象派は彼のポアンティエや写実に捕らわれないデフォルメを絶賛していた。又、彼の作品はシュルレアリスムの代表であるダリや、ドイツの独裁者ヒトラーなど、異色の人間をも魅了したことで知られる。
今でこそ名声を博している彼だが、生前からの評価は高かったものの、彼の死後から19世紀まで忘れ去られた画家だった。フェルメールの絵が再評価される以前の彼の絵は痛みが激しく、寡作であったことも災いして別人の署名を入れられるなどして他人の作として売られたりもした。真珠の耳飾りの少女もわずか2ギルダー30セント(2012年現在の通貨換算価値で1万円程度)で落札されたこともあった。
然しながら、技術、計算しつくされた幾何学的構図、表現の内容の奥深さ、稀有な超絶技巧によって彼の地位は現在、世界的にも不動のものになった。