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尾崎行雄(野球選手)の編集履歴

2024-05-17 23:20:17 バージョン

尾崎行雄(野球選手)

おざきゆきお

尾崎行雄とは野球選手である。同姓同名もいる。

政治家の方の人物は「尾崎行雄(政治家)」を参照。


概要

尾崎行雄

(1944年 - 2013年)

大阪府泉大津市出身。上記の政治家にあやかって名を付けられた。

浪商高校(現・大阪体育大学浪商高)2年時に1961年の第43回全国高等学校野球選手権大会で優勝投手となり、怪童と呼ばれた。

同年11月に高校を中退、東映フライヤーズへの入団を表明。

1年目の1962年には初登板で勝利投手になるなど20勝9敗、防御率2.42の成績でリーグ初優勝に貢献。

同年はオールスターゲーム出場選出・新人王獲得もする。

1964年から1966年まで3年連続で20勝を記録し、1965年には27勝を挙げて最多勝を獲得したが指にマメの出来る体質に苦しみ、また酷使の影響もあって肩を痛めて1968年以降は勝星から遠ざかる。

1972年6月に同季初先発、7回を投げ5年ぶりに勝利投手となる。同年は3勝を記録するも翌1973年には登板機会が減少、同年オフに29歳で現役を引退。通算107勝83敗。

引退後はレストランを経営した後、スポーツ関係の会社に勤務。

2013年6月13日に肺がんのため死去。68歳没。

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