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オトの編集履歴2012/09/24 20:07:22 版
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MARCVS OTHO CAESAR AVGVSTVS

本名マルクス・サルウィウス・オト
スペルMARCVS SALVIVS OTHO
統治69年1月15日 – 69年4月15日(3ヵ月)
皇帝名マルクス・オト・カエサル・アウグストス
スペルMARCVS OTHO CAESAR AVGVSTVS
生没32年4月25日 エトルリア(イタリア本土)- 69年4月15日・自害(37歳)
権力ガルバから奪う
崩御69年4月15日・自害

7代ローマ元首

ローマの上流階級サルウィウス氏の生まれ、カエサル家の元首ネロと交流関係があった。

ネロと男色仲間であったと言われている。

58年にそれまでオトの妻であったポッパエナ夫人を元首ネロが寝とり、その後オトは元首ネロからルシタニアに総督とドナウ川方面軍司令官として赴任の命を受けた。このときポッパエナ夫人を自身の出世のために裏取引したとも言われている。

元首になる

68年に元首ネロが自殺に追い込まれたあと即位したガルバがそくいしたが。オトは元首ガルバに対しクーデターをおこしガルバ派を粛清した。そしてその後セナートスの支持を取り付けローマ元首となる。

ウッテッリウス将軍に敗れる

しかし治世3カ月目にウィテッリウス将軍が元首オトに対しクーデターを起こした、ウィテリウスはオトと同じくネロの男色仲間の巨漢の男であった。ネロからが「お釜」とあだ名されていた人物である。彼もオトと同じく将軍(ゲルマニア軍団)となっていた。

オト軍団とウィテッリウス軍団はイタリアのクレモナという場所で戦闘を行ッた結果、ウィテッリウス軍団が勝利した。

この敗北を知った元首オトは意気消沈し自ら剣で胸をさし自害したという。この死にざまを知ったローマ軍将兵やローマ市民の中にはオトに続いて殉死する者もいたという。

享年37

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