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オトの編集履歴2012/09/25 21:19:26 版
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MARCVS OTHO CAESAR AVGVSTVS

本名マルクス・サルウィウス・オト
スペルMARCVS SALVIVS OTHO
皇帝名マルクス・オト・カエサル・アウグストス
スペルMARCVS OTHO CAESAR AVGVSTVS
権力ガルバから奪う
統治69年1月15日 – 69年4月15日(3ヵ月)
生没32年4月25日 エトルリア(イタリア本土)- 69年4月15日・自害(37歳)
崩御69年4月15日・自害

概要

7代ローマ元首

ローマの上流階級サルウィウス氏の生まれ、カエサル家の元首ネロと幼馴染であり、ネロと少年愛仲間であったと言われている。

58年にそれまでオトの妻であったポッパエナ夫人を元首ネロが寝とり、その後オトは元首ネロからルシタニアに総督とドナウ川方面軍司令官として赴任の命を受けた。このときポッパエナ夫人を自身の出世のために裏取引したとも言われている。

ガルバ軍の副官となる。

68年に元首ネロに対するクーデターがガルバ将軍の軍団から起こった、オトはその時にガルバ軍と自身の軍団が同盟を結び、自身はガルバの副官となった。

オト、ガルバを裏切る

その後ネロ自殺に追い込まれたあと即位したガルバ。しかしガルバの政治はローマ帝国軍の怒りを買いウィテッリウス将軍がクーデターを起こす結果となった。

オトはかつて同盟を結んだ仲間であるガルバに対しクーデターをおこし元首ガルバを殺害した後ガルバ派を粛清した。そしてその後セナートスの支持を取り付けローマ元首となる。

ウッテッリウス将軍に敗れる

元首オトはウィテッリウスと共同統治案など呼びかけて武力衝突を避けようとしたが、ウィテリウスはこれを聞き入れなかった。

ウィテリウスはネロが幼少のころよりの遊び相手であった。ネロから「お釜」とあだ名されていた人物である。彼もオトと同じく将軍(ゲルマニア軍団)となっていた。

元首オトはやむなく軍団を動かしウィテリウス軍団と対峙することを決意した。

オト自害

オト軍団とウィテッリウス軍団はイタリアのクレモナという場所で衝突した、結果ウィテッリウス軍団が勝利した。

この敗北を知った元首オトは意気消沈し自ら剣で胸をさし自害したという。

この死にざまを知ったローマ軍将兵やローマ市民の中にはオトに続いて殉死する者もいたという。

享年37

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