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大川橋蔵の編集履歴

2024-09-24 23:47:20 バージョン

大川橋蔵

おおかわはしぞう

歌舞伎役者の名跡。ここでは2代目について記載する。

曖昧さ回避

初 代 大川橋蔵

初代尾上松緑の養子、1784–1849。いったん引退した三代目菊五郎が舞台復帰に際して用いた名跡。


2代目 大川橋蔵

(1929年(昭和4年)4月9日 - 1984年(昭和59年)12月7日)

東京都出身の日本の歌舞伎役者俳優。本名は丹羽 富成(にわ とみなり)、旧姓は小野(おの)。


1935年(昭和10年)11月、市川男女丸を名乗って初舞台を踏む。

1944年(昭和19年)10月には六代目の妻・寺島千代の養子となり、その実家の「丹羽」姓を継ぐとともに二代目大川橋蔵を襲名した。


1955年12月、『笛吹若武者』で映画デビューした。しかしこの時は歌舞伎に籍を置いたままだった。2作目の『旗本退屈男』を撮った後マキノ光雄の誘いに応じて東映に入社した。


1960年代以降、映画全般がテレビに押されて時代劇は斜陽の時代に入っていくと舞台やテレビに活動の場を移した。

祇園で馴染みの芸妓であった沢村真理子と1966年3月に結婚した。


1966年5月からフジテレビで『銭形平次』が放映を開始した。以後終生にわたる当たり役となった。1984年4月4日、『銭形平次』が最終回を迎え18年間で888回におよぶ長期シリーズに終止符を打った。この時点で「1人の俳優が同じ主人公を演じた1時間ドラマ」としては世界最高記録となり、ギネスブックに認定されている。


1984年(昭和59年)12月7日結腸癌のため死去した。55歳没。

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