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私は、何万年というスパンで美術を学んでいる立場なので、「200年のうちに残される10作品」という歴史的認識は正しいと思いますが、その一つになる作品を必死になって作ろうとしている、という記述には首をかしげざるを得ませんでした。美術史上の作品で作者がわかっていて、しかもその人となりが明確なものは、せいぜいこの500年以内に作られたものだけであって、それも時代時代によって、評価する軸が変化し、例えば、最近日本でも人気があるオランダのフェルメールにしても、死後すぐにその名前が忘れられて、200年以上後に「再発見」されて、評価されるようになったのにすぎないのです。美術史上の作品にとっては、作者とはその作品の小さな一部にとどまり、また、それを過大視して,解釈などを決めつけない方がよいというのが、私の研究者としての信条です。作者もまた、「見えるもの」である作品を力を尽くして作ったのであり、亡くなって「見えないもの」になってしまった作者のことを考慮しすぎることは,作品そのものの力を見誤ってしまうのではないかと危惧しています。

 村上隆は、この本にも書かれているように、美術の社会的存在感を高めるために、様々な活動もしていて、本当に頭が下がる思いです。経済的にも、作品を売却した高額の利益を自らの贅沢な生活に用いず、後進の育成などに向けているなど、私はこの本で初めて知りましたが、ご本人はいやだと思いますが、美術家というより社会活動家というべき、尊敬に値する人物ではないかと見直しました。そんな作者のモチベーションが「死後の名声」だと、この本では述べているわけですが、これは上記の通り、眉につばをつけた方がいいのではないかと私には思われました。さらに、主宰されている「カイカイキキ」という団体を日本の「狩野派」のような、何百年も続く組織にしたいという野望も、畏れおおいように私には思われました。「狩野派」についてそれほど知るわけではありませんが、室町時代に発祥して、安土桃山時代に有力な武将に重用され、そのまま江戸時代を通じて、支配的な流派になったというのも、偶然の積み重ねの結果であり、一人の傑出した人物がそれを望んだところで、実現するとはとうてい考えられません。

 以上、現在日本を代表する美術家の意気込みを表明した本として、本書は読むに値するようにも思われますし、私自身は、作品と作者の関係を改めて考える機会とすることができ、読んでよかったと思っています。先史岩面画も仲間内から作った人は認識されていたでしょうが、それはあくまでもみんなの代表として実際の制作に携わっただけであって、自己表現した「作者」ではなかっただろうと思います。この「作者」という近代的存在を忘れ去ることは、私自身近代に生きる者として、なかなかできませんが、できるだけ虚心に作品という「見えるもの」だけを対象にしたい、と改めて考えています。

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