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編集者:sas9791
編集内容:ないようついき

ビビアン・スー、南々見狂也(ウッチャンナンチャン南原清隆、ちなみに、プロレスラー蝶野のパロディ)、天山ひろゆき(キャイーン天野ひろゆき、プロレスラー天山のパロディ)、そしてケディ・ティンを途中から含めた、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』から生まれた音楽ユニット。ちなみに、南々見狂也は南々見一也の双子の兄という設定。額のほくろが赤い。また、南々見はブラジル・サンパウロ出身という設定。

最初は特撮番組のように、1997年に、「ポケットビスケッツの邪魔者」として登場した(もちろんネタなのだが、この頃は本気にした視聴者から苦情が殺到したらしい)のだが、音楽活動でヒット、ポケビと共に紅白歌合戦に出演した。

10万円のブラビ像を完売しないとデビューできないなど、ポケビ同様、相変わらず歌手活動とはまったく関係ない活動でCDのリリースが決められ、そのたびにビビアンが泣いていた。

また、ポケビとの対決で、「My Diamond」を制して「Timing」をリリース、ダブルミリオンを達成した

ビビアンが日本で名前が売れたのはブラビがきっかけで、彼女はこの思い出をとても大切にしている。

南々見の口癖「エー、コラァ!!」(格闘技好きの南原らしいネタである)も結構流行った。

普段はブラビ荘なる民家で4人暮らしているという設定。

計4枚のシングルをリリースしたが、4枚目の「Bye-Bye」がミリオン行かなければ、南々見とケディは脱退するという公約に基づき、ミリオン行かなかったがために二人は脱退(当時ちょうどCDバブルの時代に終わりが来ていた。また、アルバム「LIFE」発売とほぼ同時期だったこともある。しかし、約70万枚を売り上げたため、決してヒットしなかったわけではない)。

その代わり、インド映画「ナトゥ」を二人が主演で製作(ちなみに、この際、ケディには台湾行の切符、南々見には上述のサンパウロ行の切符が渡されていたが、それを破る形で映画に乗り出す)。後にビビアンと天山も合流し、南々見組を結成する。(後にビビアンは台湾の仕事が忙しくなったため、ウリナリを卒業した)

映画「ナトゥ」はヒットし、舞台化。それにはウリナリファミリーが全員参加(裏方も含め)という豪華使用になった。

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