解説
1943年12月にアルケット社の工場がアメリカ軍の爆撃により甚大な被害を受け、III号突撃砲の生産が止まってしまった。
そのため、ヒトラーはIV号戦車の車体を利用した突撃砲を生産せよとの要求を出した。
そこで、IV号戦車の車体にIII号突撃砲G型の上部構造を取り付けた「IV号突撃砲」が開発された。これにより、それまで単に「突撃砲」と呼ばれていた車両は「III号突撃砲」と呼ばれるようになった。
生産は、当時IV号戦車を生産していたクルップ社が担当することとなった。
同時期のIV号駆逐戦車と比べ、火力が同等で防御力では劣っていた。しかし、フロントヘビーだったIV号駆逐戦車より重量バランスが良く、機動性と操縦性では勝っていた。
IV号突撃砲はIII号突撃砲と同じように配備・運用され、連合軍相手に終戦まで戦った。
生産数
派生型を含めた総生産数が約10,000両におよぶIII号突撃砲の影に隠れがちだが、IV号突撃砲の総生産数は約1,100両である。これは、ナースホルンの約500両、ヤークトパンターの約400両より多い。