実績
特になし。
概要
綏靖天皇と事代主(ことしろぬし)の娘:五十鈴依媛命(いすずよりひめのみこと)との間に生まれる。
※古事記では、母は河俣毘売(カワマタビメ)と記されている。
紀元前557年に立太子され、紀元前549年に綏靖天皇がお隠れになった後に即位した。
在位中の業績等の記録が残っておらず、在位38年の後にお隠れになられた。
安寧天皇と言う諡号は、漢風諡号を持たない神武天皇から元正天皇までの44代(弘文天皇と文武天皇を除く)に対して、奈良時代の文人「淡海三船」が漢風諡号を一括撰進して以降呼ばれるようになったもので、古事記では師木津日子玉手見命(きつひこたまてみのみこと)、日本書紀では磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみのみこと)と呼ばれている。
※ニコニコ大百科引用