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ZSU-57-2の編集履歴2013/09/28 21:03:48 版
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ZSU-57-2

ずーすこーななのに

第二次世界大戦終結後、ソビエトが最初に開発した自走高射砲(対空戦車)。T-54の車体を利用しており、この装甲を削減、さらに57mm高射砲を2門備えた砲塔を搭載している。現在でも使われているようだが、旧式なのは否めない。

対空戦車(ソビエト編)

このZSU-57-2は戦車部隊に随伴し、来襲する敵攻撃機を追い払うか、撃墜するために開発された。

(⇒ルーデル

敵機が来襲するという事は低空飛行するという事でもあり、当時有効だった対抗策は『炸裂弾で弾幕をはる』というものだった。1940年当時にはコンピュータ等というものは当然存在せず、敵に弾丸を命中させるというよりも、弾片の数に頼って確立上で被害を与えるほうが有効な時代だったのだ。

このため砲弾は(炸薬を詰め込めるように)大きなほうが都合がよく、敗戦したナチスドイツからもこれまた都合よく、新型高射砲の設計データを手に入れていた。

1949年、ソビエトでは自国で開発していた新型高射砲の開発データと合わせ、57mm高射砲S-60を完成させた。ここからさらに車載用に改造し、S-68へと発展する。

車体であるZSU-57-2は1951年から開発が始められ、原型には当時最新鋭のT-54戦車があてられた。もちろんそのままつかった訳ではない。装甲を減らして車体を短くし、全体での軽量化を目指している。

1940年代のコンピュータ

実用化されていない訳でもない。

1946年にはENIACが発表されており、既に核兵器開発に使われている。

ただ当時のコンピュータは非常に複雑な装置で、計算そのものは数秒で終了しても、そのためのプログラミング・計算回路の組み換えにそれぞれ数日が必要なものだった。その上非常にかさばるもので、設置には『柔道場1面分の広さが必要』だったと言われている。当然戦車よりも大型であり、車載はまだ不可能だった。

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