1951年7月5日生、岩手県出身、北海道育ち。本名は阿部純子。
浪曲師の父と三味線奏者の母の間に生まれ、17歳のときにさっぽろ雪まつりのステージで歌っていたのをきっかけにスカウトされ1965年に歌手デビューする。暗く陰鬱な内容の曲を多くうたい、一世を風靡した。
1970年の「圭子の夢は夜ひらく」が大ヒット、その後もヒット作を連発するが一時期歌手の前川清と結婚後引退していたが1年で離婚し復帰。その後は引退と復帰を繰り返した。
その後音楽プロデューサーの宇多田照實と再婚し、娘の宇多田ヒカルをもうけた。
照實とは何度か離婚と再婚を繰り返しているが、照實の運営する事務所の役員もつとめた。
2013年8月22日、東京都内の知人宅から転落して死亡した。自殺とみられている。享年62歳。
娘のヒカルが後に発表したコメント中により、娘の幼少期頃から既に精神を病んでいたものの本人に病識が無く治療を受けさせることが出来なかった(精神系の病の患者にはよくある問題である)ことが明らかにされた。一方でヒカルは母としての彼女を「とてもかわいらしい人」「母の娘に生まれたことを誇りに思う」と表現している。