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夏目漱石

なつめそうせき

日本を代表する文豪の一人。
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日本小説家・英文学者(慶応3年~大正5年)。江戸牛込(現東京都新宿区)の出身。本名・夏目金之助。
明治大正期を代表する文豪である。

  • 千円札の人物にも選ばれた(昭和59年~平成16年)
  • 【漱石枕流】負け惜しみ、またそのような言動をする人物、偏屈者:作家号である「漱石」の元ネタ   川の流れに枕し石で漱ぐ。

人評

名主・夏目家の五男として誕生するも、子沢山のうえ高齢出産で生まれた(当時としてはあまり好まれなかった)ため、幼少期から青年期までは養家と実家の間をたらい回しにされた不遇を託っている。

高校・大学を卒業後は、当時としては貴重な敏腕英語教師として10年ほど教鞭を振るい、国費でロンドンに留学している。三十代後半に高浜虚子の勧めで書いた『吾輩は猫である』をきっかけに作家の道を歩み出す。

性格は生真面目で神経質。被害妄想性の神経衰弱(現在の言葉では神経症)を患っており、胃潰瘍や糖尿病などにも苦しめられるなど心身ともに病弱であった。小説家業も不安定な神経を落ち着かせるために始めた部分が強い。明治40年、教師をやめて朝日新聞の専属作家になった。

基本的には内向的な偏屈者だったが、駄洒落を口にすると止まらない洒脱な一面もあり、多くの教え子たちに慕われた。何気にちゃっかり者で、学生時代は抜け駆けが得意だったりする部分もある。人に頼まれると嫌とは言えないお人よしで、騙されて借金を背負うこともしばしばだったとか。

才能のある人間を好む傾向にあり、逆にそうした人物から好かれる独特な雰囲気を持っていたという。反面、あまり優秀でない生徒に過度に厳しく当たり、授業をボイコットされたりしている。その教え子の一人に『巌頭之感』なる遺書を残して自殺し波紋を呼んだ藤村操がおり、彼の英訳に難癖をつけて叱ったことと、自殺したことは漱石にとって苦い経験であり、「病は気から」というように持病の悪化の要因の1つにもなったと言われる。

当時のエリートだけあって人脈は広く、有名大学の教授たちと学校の同期だったり、近代俳句の創始者の正岡子規南満州鉄道総裁の中村是公と親友だったり、門弟に芥川龍之介や内田百閒がいたり、教師時代の教え子たちの多くが各界の著名人へと出世したりと、人間関係には恵まれていた。

趣味は俳句と詩吟、そして落語観賞。余暇には水彩画を描くのが好きだったが、あまり上達はしなかった。

甘いものが大好物で、戸棚に隠してある蜂蜜饅頭を目ざとく見つけてはつまみ食いし、あとで奥さんに怒られることも多かったらしい。胃潰瘍を患ったのも、神経質な性格のほかに食い意地が張っていたことも一因だったようだ。

大変に筆まめだったが、掃除は基本『全部燃やす』の一択で、漱石の手元に送られた手紙はほとんど燃やされて残っていない。よって彼の手紙は、知人や弟子によって補完されたものがほとんどである。

英語教師としての経験からか、外来語へ独自に漢字をあてることが多く、自著の中に多く用いられている。

留学中に神経衰弱が悪化し、被害妄想から癇癪を起こして妻子に暴力を振るうこともあったが、妻は周囲からの離婚の勧めにも「あの人は病気だから暴力を振るう、病気ならば治るあてもある」と言い応じなかった(妻自身もかつて精神的に不安定な時期があり、漱石に世話されていたことがある。その件もあって漱石への信愛は人一倍強かったようである)。後年は胃潰瘍に悩まされることが増え、入退院を繰り返していた。
1915年に胃潰瘍にくわえて糖尿病も発症し、同年12月9日に死去した。
妻との間に2男5女があり、子や孫も作家やミュージシャンとして活動する者が複数いる。


主要作品

吾輩は猫である 坊っちゃん 草枕 虞美人草 三四郎 こゝろこころ) 明暗

関連タグ

小説 森鴎外 正岡子規 藤村操
夏目房之介:孫。漫画評論家。
伊藤博文/野口英世:千円札に肖像が採用された人物。
伊予鉄道:「坊っちゃん」の舞台、愛媛県松山市周辺に路線を有する私鉄。「坊っちゃん列車」を運行。
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夏目漱石(文豪ストレイドッグス)
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