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大森隆男

おおもりたかお

全日本プロレス所属のプロレスラー。必殺のアックスボンバーを武器にワイルドにリングを駆け回る。
目次 [非表示]

来歴

誕生 ~ 全日本時代

1969年10月16日東京都生まれ。

大学時代はアメフトの選手として活躍。その後アニマル浜口ジムで身体を鍛えた後、全日本プロレスへ入団。同年齢・同世代の秋山準とのタッグでアジアタッグ王者(防衛回数歴代2位の12回)となる。その後、高山善廣とのタッグチームNO FEARを結成し、ハヤブサ新崎人生組からアジアタッグ王座、ジョニー・エース&バート・ガン組から世界タッグ選手権王座を連続奪取。

2000年には、チャンピオン・カーニバルのトーナメント第1回戦で、その1か月前シングルで三沢光晴超えを果たし優勝候補に上げられていた秋山と対戦し、入場時を襲いわずか7秒(ゴングの鳴る前を加えると約30秒)で秒殺。準決勝のスティーブ・ウィリアムス戦も同様アックスボンバーで奇襲し勝利。決勝では小橋健太に敗れ準優勝に終わるが、三沢率いる「新生全日本」の象徴となる活躍を見せた。

NOAH ~ 休業

同年8月、三沢光晴らとともに新設されたプロレスリング・ノアへ移籍。2001年12月には、高山善廣とのタッグでGHCタッグ王座を獲得するも、初防衛戦で敗退。以降、高山との方向性の違いも表面化してタッグチームを解消。程なくアメリカ遠征へ出立する。

2003年、ノアを退社する。アメリカ遠征中に無断でWWEのトライアウトを受けたことによる事実上の追放ともされるが詳細は不明。


帰国すると長州力の興したWJプロレスに所属するが、団体の業績不振もあってゼロワンへと参戦、2004年プロレス大賞最優秀タッグの炎武連夢(大谷晋二郎・田中将斗組)と対戦。炎武連夢からNWAインターコンチネンタルタッグを奪取し、最多防衛記録も樹立。ゼロワンには継続参戦し、火祭りで準優勝。

ZERO1-MAX(ゼロワンの後継団体)の旗揚げには所属選手として参加。旗揚げ戦ではジャンボ鶴田マサ斎藤に次ぐ日本人3人目のAWA世界ヘビー級王者となった。

2006年1月4日の東京ドーム大会で新日本プロレスに初参戦。越中詩郎とのタッグで蝶野正洋&天山広吉組の持つIWGPタッグ王座に挑戦。4月1日に靖国神社相撲場で行われた大谷との一戦に勝利し、再度AWA世界ヘビー級王座を獲得した。

2006年5月31日の6人タッグで新日本プロレスの中西学と対戦しこれを契機に越境タッグを結成。結成後の初戦でNWAインターコンチネンタルタッグに挑戦し王座を獲得。2戦目には新日本マットでIWGPタッグ暫定王座の奪取に成功。9月20日付けで、蝶野&天山組の持つ第48代IWGPタッグ王座は剥奪され、同日付けで正式に第49代IWGPタッグ王者となった。これにより、大森は史上初の4大タッグ(世界タッグ・IWGPタッグ・GHCタッグ・NWAタッグ)制覇を達成。なお、3大メジャーのタッグを制覇したのはベイダー、高山善廣、永田裕志に続き4人目である。タッグチーム名は「ワイルドチャイルド」とされた。

2007年には、NWAインターコンチネンタルタッグ、IWGPタッグ戦ともベルトを失い、AWAヘビー級王座戦でシングルの王座も失う。

2008年には仲間割れから中西とのタッグを解散。3月2日にはついに中西とのシングル初対決が実現。これに勝利してZERO1-MAXの意地を見せるも、その後中西にシングル、タッグ戦ともフォール負けする。7月23日に開幕した火祭りで中西、田中を撃破。田中、中西とともに同ブロック首位になるも最終戦で敗れ、決勝進出はならなかった。

2008年8月26日、「一身上の都合」により8月末日をもってZERO1-MAX退団を発表し一時休業することを表明。8月に蝶野と対戦し、場外でアックスボンバーを放ち蝶野をKOするも試合は引き分け。

活動再開 ~

2009年3月15日、新日本プロレス後楽園ホール大会のセミファイナル6人タッグ戦終了後に突如出現し、休業以来続いていた沈黙を破る。かつての盟友のリング上の中西に握手を求め、再び共闘することをアピールし、「ワイルドチャイルド」を再結成。8月にはG1 CLIMAXに出場。IWGP王者の棚橋弘至、G1王者の真壁刀義に勝利する活躍を見せた。

2010年1月20日、妻が女将として働く実家の旅館を手伝うため、石川県金沢市に拠点を移し旅館業兼レスラーとして活動することを発表。11月15日のSMASHの記者会見で本格的に復帰すると宣言。

2011年3月より、古巣の全日本プロレスに参戦。太陽ケアをパートナーにし、世界タッグ選手権に挑戦した。 同年4月、7年ぶりにチャンピオン・カーニバルに出場。7月、ケアとのタッグで再び世界タッグ選手権に挑戦。

2011年11月19日、征矢学とのタッグチーム「GET WILD」を結成。

2012年1月2日後楽園ホール大会にて観客ジャッジを行い、90%以上の支持率を集め入団に合格。2月1日付で正式再入団することが発表。2月3日、後楽園ホールで秋山準との三冠戦に挑み、敗れるがその日のうちにGET WILDとして世界タッグ王座への挑戦を

表明した。3月4日、同じく名乗りを上げたKENSOとカズ・ハヤシの「TEAMビチッと!」を破り、挑戦権を獲得。3月20日、両国国技館でダーク・オズ、ダーク・クエルボ組とのタイトル戦に勝利し、第61代世界タッグ王者になった。初防衛戦にて世界タッグを真田聖也・ジョー・ドーリング組に奪われるもののすぐに取り返した。またGET WILD結成後は度々征矢との漫才のようなやり取りをするようになり、ほぼ毎回意見の相違や主張の食い違いをみせ(主に征矢の奇天烈発言が原因)、周囲の失笑と呆れを買っている。しかし、誤爆や連携ミスなどを再三にわたり繰り返すのだが不思議と結果はきちんと残している。


2013年に当時のオーナーであった白石伸生と武藤敬司との間が対立し、武藤側についた選手・スタッフが退団・新団体設立におよび、パートナーの征矢も後に退団→新団体に移籍となったためGET WILDが消滅。その後ライバルでありかつてのアジアタッグ王者時代のパートナーであった秋山と再度タッグ(「ワイルドバーニング」)を結成。

2014年に全日本の春の祭典「チャンピオンカーニバル」を初優勝。その後当時の3冠ヘビー級王者であった曙太郎が病気による王座の返上に伴い、秋山との3冠ヘビー王座決定戦で秋山をスライディング式のアックスボンバーでフォールし3冠ヘビー級王座を初戴冠。6月には秋山とタッグでタッグ王者の諏訪魔&ジョー・ドーリングから世界タッグ王者を奪取。その後、毎年年末に全日本プロレスが行なっているタッグマッチの総当たりリーグ戦である世界最強タッグ決定リーグ戦前にタッグ王座を返上するも同大会を優勝と同時に王座に返り咲いた。

2015年はKENSOや秋山とタッグを組む機会が多かった。


2016年1月1日付けで全日本プロレスの取締役に就任。リング上では主にZERO1-MAX時代の弟子であった、田村和宏、木高イサミ、宮本裕向、風戸大智、等と「アックスボンバーズ」を結成。8月には高山善廣とのNO FEARを限定復活。10月にはGET WILDのパートナーであった征矢学との対戦が決定。同年の世界最強タッグ決定リーグ戦で征矢とのタッグで全勝優勝。自身は3度目の優勝。


2017年10月21日、横浜文化体育館にて秋山準とともにデビュー25周年記念大会が開催。世界タッグ王座決定戦を関本大介&伊東竜二と争い勝利、自身7回目となる世界タッグ王座を戴冠。


2018年1月3日の世界タッグ戦で諏訪魔&石川修司組に敗れ王座陥落。3日後の1月6日に青柳、野村組の持つアジアタッグ王座に秋山準と組んで挑戦するも王座獲得失敗したうえに両手指のしびれがあり、検査を受けた結果頸椎椎間板ヘルニアと診断され、長期欠場するも2月15日に3月25日のさいたまスーパーアリーナ大会で復帰と発表。新日本プロレスの中西学と組んで、秋山準、永田裕志の持つアジアタッグに挑戦表明。王座奪取とはならなかったものの、大森の復帰と中西とのタッグチーム「ワイルドチャイルド」の復活で会場中が沸き上がった。


タイトル暦

全日本プロレス

3冠ヘビー級王座:1回(第48代)

世界タッグ王座:6回(第38代、第61代、第63代、第64代、第67代、第68代、第78代)

アジアタッグ王座:2回(第62代防衛回数12、第66代)

チャンピオン・カーニバル 優勝1回(2014年) 準優勝1回(2000年)

第2回および第3回あすなろ杯争奪リーグ戦準優勝

プロレスリング・ノア

GHCタッグ王座(第3代)

新日本プロレス

IWGPタッグ王座(第49代)

ZERO1-MAX / ZERO-ONE

AWA世界ヘビー級王座

NWAインターコンチネンタルタッグ

NWA認定UNヘビー級王座

WLW WLW世界ヘビー級王座

EWA EWA世界ヘビー級王座


その他

GAY世界アナル級初代王座(男色ディーノによる自作ベルト。しかし戴冠直後に返上)

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