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清原和博

きよはらかずひろ

西武ライオンズ、読売ジャイアンツ、オリックス・バファローズに在籍していた元プロ野球選手で、2016年現在は刑事事件被告人。
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応援歌

西武ライオンズ時代

『♫光輝く 日はまた昇る 燃える男だ チャンスに強いぞ清原』
西武時代の応援歌

読売ジャイアンツ時代

『♫勝利の一撃 空高く 放り込めバットに夢乗せて ホームラン清原』
(CD版)『♫藪から虎出る 空に竜 鯉を叩いて 横浜(ベイ)を退治 一気飲みヤクルト』
巨人時代の応援歌(歌詞はCD版)

オリックス・バファローズ時代

『♫闘え士(つわもの)よ 傷だらけのその体で 輝けこの場所で 威光放つ男』
オリックス時代の応援歌

来歴

1967年8月18日生まれ、大阪府岸和田市出身の元プロ野球選手。
1985年PL学園高校から西武ライオンズ入団。渡辺久信工藤公康秋山幸二らとともに、西武黄金時代を代表するスター選手の1人となる。
西武ライオンズ在籍時にちびまる子ちゃんコスプレを披露。
1997年FA権を行使して読売ジャイアンツに移籍する。その後は幾度もケガに泣かされた。
2004年に2000本安打を達成、翌2005年秋に戦力外通告。
2006年オリックスバファローズに移籍するも、リハビリに励む日々が続く。
2008年に歌手の長渕剛氏や阪神タイガース金本知憲も駆け付け、盛大な引退セレモニーが行われた。
2010年、テレビ番組にてベースボールマフィアというあだ名を付けられる。

主要な打撃タイトルを獲得していないため、無冠の番長と呼ばれていた。しかし通算成績2122安打・525本塁打・1530打点を記録するなど名球会の立派な有資格者であり、球界を代表する名選手の一人であったことに異論は無いだろう。因みに、通算196死球・同1955三振は未だ誰にも破られていない歴代最高のアンタッチャブルレコードでもあり、良い意味でも悪い意味でも彼が球界の番長と呼ばれている最大な所以でもあろう。

引退後はタレントや野球解説などで活動。モデルの木村亜希と2000年に結婚(結婚以降は夫人も清原姓でモデル活動)しており、2児の父。
「番長」と渾名され、オラオラ系のキャラ的な演出がメディアでされることも多々あったが、実際はかなり繊細な面もあったという。近年は現役時から引きずった膝の故障に加えて糖尿病を患う等体調的にも不安定であった。

疑惑、そして転落

現役時代末期から彼には黒いお友達との交遊や薬物疑惑が時折報じられては噂が消える、といった繰り返しに見舞われるようになっていった。
2014年に一部報道にて「薬物中毒で入院」疑惑の記事が書かれたが本人は度々バラエティ番組等で否定していた。
しかし疑惑はくすぶりつづけタレント仕事も減って行き、2014年には亜希夫人が息子2人を連れ離婚(離婚後も芸名は清原姓)、家族を失い窮地に立つこととなった。
その後病気療養や仕事に励み、2015年頃にはタレント仕事の量も戻りつつあり、疑惑を払拭したかに見えた。
しかし2016年2月2日、覚醒剤所持の容疑で自宅に捜査が入り彼は逮捕され、自宅から常用を伺わせる注射器などの物証も発見され、かつてASKAを逮捕した警視庁の精鋭チームが長らく捜査を続行していたことが判明。
この逮捕の速報はかつてのスター選手の薬物事件として球界はおろか世間を震撼させてしまった。
その為、多くのファンやかつてのチームメイトや恩人等の野球関係者を嘆かせることとなったが、「やっぱり」との声も少なくなかった。この為、彼の覚醒剤使用はつい最近ではなく、彼が巨人にFA移籍してから逮捕されるまで約20年間も使用したことが、彼を詳しく知る球界関係者から発覚し、覚醒剤使用常習犯であることも図らずも明るみに出てしまった。プロスポーツの世界では例え風邪薬だろうと違反となる成分が含まれているとペナルティが厳しい世界である為、何故発覚が大幅に遅れたのか疑問の声が出ている。
かつての「KKコンビ」である盟友・桑田真澄は長らく清原をお節介なくらい気にかけており薬物の噂が出るたびに桑田曰く「小舅のように口うるさく」連絡し説教をしていたが、清原に疎まれ事件の3年前に絶縁されていた事も明らかになっている。桑田も今回の事件で沈痛な面持ちで残念な思いをコメントしている。
尚、この事件の煽りを受け、コロコロアニキにて復活したかっとばせ!キヨハラくんも連載中止に追い込まれてしまった。

元西武オーナー・堤義明氏の溺愛が清原和博凋落のプレリュード

堤義明氏がまだ西武鉄道グループの総帥だったころの話である。当時、原宿にあったコクド本社の会長室は、政財界の重鎮でも限られた人しか入ったことがなかったという。まして西武ライオンズの幹部が出入りするケースはごくまれ。会長室に入る幹部がいても、直立不動のままオーナーに怒鳴り散らされ、「ハイ」か「分かりました」しか言わずに出てくることがほとんどだったそうだ。
そんな「奥の院」ともいうべき場所で、ソファにふんぞり返り、あぐらまでかいたといわれる人物がいる。その人物こそ清原和博だった。

堤氏は清原をとにかくかわいがった。球団ではなく、秘書課を通して清原を原宿本社の会長室に直接招き入れ、チーム事情やプロ野球界に関する話を聞いたり、雑談をしたりしたという。例えば清原が自主トレをするときは、堤氏が系列のプリンスホテルを手配したうえで、ホテルの関係者たちに「しっかり守ってやりなさい」と指示する。球団に対しても「清原をマスコミスキャンダルから守れ」と厳命していたそうだ。そんな風にモミ消したスキャンダルは星の数ほどだった。清原のスキャンダルが週刊誌を賑わせるたびに、グループ内部の社員が怒鳴られたのだ。

西武グループの「天皇」と呼ばれた堤氏の庇護のもと、清原は酒・喫煙・女遊びなどやりたい放題。90年オフに、当時史上最年少の23歳で1億円プレイヤーになったのも堤氏の意向が大変大きかった。その溺愛ぶりはグラウンド内にとどまらない。試合での起用に関しても堤氏からクレームが付いたことがあった。打順の問題なのかは不明だが、ある試合の起用法が逆鱗に触れた。試合中だというのにベンチ裏の電話を鳴らし、首脳陣を物凄い剣幕で怒鳴りつけたという。

これで清原は益々増長し、首脳陣が言うことにすら耳を傾けなくなっていく。ある日のデイゲームでは酒の臭いをプンプンさせながら球場入り。首脳陣がとがめても「ワシは寝なくても大丈夫なんですやん」と居直った。チャンスに併殺打で凡退した直後なのに、敵選手とニヤニヤしながら談笑。見るに見かねて注意したコーチを逆に睨みつけたこともある。技術的な指摘に対しても、フンという態度を取ることが多かった。

清原にモノを言う首脳陣はただでさえ少ない上、清原自身がこんな態度だから、「ワシは何をやっても許されるんや」という態度や言動は、いよいよエスカレートすることになる。
同学年の選手はもちろん、特に年上の者は清原のもとから次第に離れていき、面倒を見なくなった。清原を戒める人たちは少なくなり、球場外で食事を一緒にしたり、酒を飲んだりするのは、わがままとやりたい放題が許される年下の選手がほとんどだった。清原凋落のフラグは、プロ入り直後の西武時代からすでに始まっていたのだ。

とはいえ、親会社オーナーの溺愛や大手メディアの懐柔があったにせよ、少し昔ならイチロー松井秀喜、現在なら田中将大大谷翔平といった実力だけでなく、周囲に踊らされず、人格にも大変優れたスーパスターも少数ながらも実際に存在している。結局のところ彼がこれほどまでに堕ちたのは誰のせいでもなく、周囲に踊らされた未熟な彼自身の責任であるのは言うまでもない。

清原ショックの余波

彼が覚せい剤取締法違反(所持・使用)容疑で警視庁に逮捕された事件で各界に波紋が広がる中、母校である大阪・PL学園高校野球部が廃部の大ピンチに陥っている。甲子園大会で春は20回出場で3度、夏も17回で4度の全国制覇を果たした超名門は、暴力事件などの影響で新入部員の受け入れを停止中。現在残る2年生部員11人は今夏の大会終了後に“引退”、 活動を停止せざるをえない窮地にあるが、同校OBは「清原ショックがダメ押しになる」と頭を抱えている。 「ただでさえ廃部への流れには抗しがたいものがあったが、清原ショックはダメ押しの決定打なるだろう」と有力OBの1人は語っている。

かつて同校は『KKコンビ』の2人の他に、立浪和義片岡篤史宮本慎也松井稼頭央福留孝介・今季からロサンゼルス・ドジャースに移籍した前広島・前田健太らプロ選手を多く輩出。だが2001年に部内でのいじめが判明。その際に原因とされた、“主人と奴隷”そのものの『付け人制』を見直し、クリーンイメージを強調した。しかし以降も不祥事は続き、13年には2年生部員による1年生への暴行が発覚。6カ月の対外試合停止処分を受け、当時の監督が辞任した。 最近は正井一真前校長、草野裕樹校長と野球経験が全然ない校長が野球部監督を2代続けて務めている。また昨年度は新入部員の受け入れを停止。今年度も受け入れは絶望的な状況だという。

同校野球部に対する方針も厳しくなっている。前出OBによると、現在のPL教団トップの『3代教祖』の体調が悪く、その夫人が実権を握っている。「この人が兎角野球部嫌い。教団の広告塔の役割を果たし、受験生増などに貢献してきたが、不祥事の続出が廃部へと舵を切らせた。そこに清原ショックが廃部必至のダメ押しになってしまった。 30年前に卒業したPL黄金時代の超大物OBとはいえ覚醒剤はイメージが大変悪すぎる。最早取り返しがつかない」という始末である。

そんな中、OBたちの汗と涙がたっぷりと染み込んだ教団施設内の野球部専用グラウンドも今年3月末で閉鎖予定。その後は学校の手狭なグラウンドで活動を続けるが、野球部は最早体をなさなくなるだろうという状況である。

前述の暴力事件などの不祥事でPLの看板といえる野球部員募集停止が影響し、清原ショックのダメ押しにより、今年(2016年度)の受験者は定員75人に対してわずか28人。併設な中学も1次募集段階で募集人数55人に対して14人にとどまり、PL学園は学校法人としての存続も危うい状況である。

プロ野球界で一番もったいない大選手

現在から30年前の1980年代のPLは清原・桑田の『KKコンビ』を筆頭に数々な名ドラマを生み出し、PL黄金時代という一大旋風を巻き起こした。彼もプロ入団時のインタビューで「プロでの目標はサダハル・ワンの通算868本塁打を超えたいです」とも公言した。

勝負事で「たら・れば」はタブーなれど、堤氏の溺愛から端を発した「夜な豪遊」をド派手にしても、名球会入りに値する実績を素質・才能だけで残しただけに、もし彼がプロ入団時から現役引退まで王氏のように野球にストイックに打ち込んでいたら、王氏・張本勲氏を超える前代未聞で前人未到な通算4000本安打・同1000本塁打・同3000打点という通算三冠王伝説な最強スラッガーの称号も決して夢物語ではなかっただろうし、母校・PL学園も存続しているだろうし、こんな逮捕劇には至らなかっただろう

ところが誰よりも有り余る素質・才能・体格に恵まれていても、ド派手な豪遊で若い頃の不摂生が崇り、結局王氏・張本氏・野村克也氏の通算記録を超えられず、打撃主要タイトルも1回も獲得できないまま『無冠な番長』として現役を終えた彼はプロ野球界で一番もったいない大選手になってしまった。

そしてこともあろうに、覚醒剤取締法違反で逮捕となった今回の大事件が彼自身は勿論プロアマ問わず球界そのものに最低最悪な汚点を残す超スキャンダラスな黒歴史になったのは言うまでもない

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