国鉄で二例目となる量産型交直流電気機関車。常磐線取手-勝田間の電化開業時に製造された。
常磐線取手-勝田間の沿線には気象庁柿岡地磁気観測所が存在し、直流電化だと観測所のデータに重大な影響を与えるため、交流電化を決定。交直流の切り替えは取手-藤代間に設置されたデッドセクションでの車上切り替えとした。車上切り替えに対応したED46を製造し、試験を行った結果得られたデータを元に製造されたのがこのEF80である。
仕様
最高速度 | 100km/h |
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最大寸法(長さ×幅×高さ) | 17,500×2,805×4,240(mm) |
車両質量 | 1次形 96.0t・2次形 97.8t |
軸配置 | B・B・B |
総出力 | 1,950kw |
主電動機 | 1次形 MT53型直流直巻電動機×3・2次形 MT53A型直流直巻電動機×3 |
駆動装置 | 1モーター2軸駆動1段歯車減速カルダン方式 |
保安装置 | ATS-S |
交直流用ということから車両重量が増加するため、少しでも抑えるべくモーター1機で車輪2軸を駆動するED46で採用された1台車1モーター2軸駆動のカルダン駆動方式を踏襲。1次形では軸重16tを実現。2次形でも0.3tの軸重増加に抑えている。また、これは交流機並みの空転減少を見込んでの事でもあったが、想定どうりの効果は発揮できず、粘着係数上交流機並みの性能が発揮できない、と判明してからは、改造で少しでも非力さを補うため、台車に牽引力補正装置を取り付けている車両が多く見られた。
当初は旅客形はD形機、貨物形はF形機として計画が進められていたが、将来的な客車列車の電車化を見越し、同じF形電機でも、電気暖房電源を搭載した旅客型、電気暖房電源を省略し、代わりに死重を搭載した貨物型の2種類を製造することとした。
運用
1963年の運用開始から1986年の廃車まで一貫して常磐線および水戸鉄道管理局管内を中心に運用された。
1次形は田端機関区に、2次形は勝田電車区に新製時に集中配置されているが、後に勝田配置は解かれ田端配置車を含む一部車両は新規開設された内郷機関区に転属。内郷機関区廃止後は内郷配置車は田端へ転属している。
常磐線上野-平(現いわき駅)間で寝台特急「ゆうづる」・夜行急行「十和田」をはじめとする各種の旅客列車・貨物列車に使用されたほか、以下の線区にも定期運用を持っていた。
更に臨時運用で東北本線での運用実績もある。1973年、後継機であるEF81が登場するが、EF81は東北本線で運用され1980年代まで常磐線での運用を持たなかった。1980年代になって日本海縦貫線で運用されていたEF81の初期車・中期車が余剰となって田端へ転属してきた際にようやくEF80の置き換えが始まり、1986年までに全車が廃車され形式消滅した。
直流機関車への改造計画
電気車研究会『電気車の科学』1976年8月号によると、EF80から交流機器を撤去して、直流電気機関車へ改造する計画が持ち上がっていた。
経緯
1970年代半ば、交流機器および周辺部の劣化が目立つようになり、故障件数も直流機関車の平均値の2倍にまで達するようになってきた。しかし抜本的な改修を行うには経費が掛かり過ぎるため、手のうちようがなかった。
一方、地方線区で使われていた旧型直流電気機関車の老朽化が著しい反面、地方線区は軸重制限が厳しいことから標準型機関車の入線が難しく、旧型機関車の老朽化が進みながらもその淘汰は遅れていた。
そこで大宮工場が注目したのは本形式の軽さである。製造時は交流機器の軽量化が難しく、軸重軽減のために1台車1モーターを採用したことで「こいつから交流機器撤去してやれば故障を減らせて更に旧型電機の置き換えも出来るのでは?」という発想に至った。
置き換えの対象はこの時既にED62の落成が見込まれていたので、ED62によって置き換えるED18・ED19を置き換え対象から外し、EF10・EF12が対象となった。
改造内容
- 撤去の対象となる交流機器と周辺機器の総重量は17.3t。撤去後の軸重は当時最も条件の厳しかった飯田線の13.6tをクリア(2次形で13.42t、1次形で13.12t)
- 重量軽減による影響を抑えるため、台車の改造、ブレーキ率変更
- トンネル断面の小さい身延線入線を考慮したパンタグラフの交換と設置位置変更。主抵抗器冷却風道の形状変更
- 一部消耗品の新形式への変更など体質改善工事実施
登場作品
韓国で製作されたアニメーション「ティティポ ティティポ」では、本形式をモデルにしたエリックというキャラクターが登場するが、前部連結器が格納式になっていたり、片運転台構造になっていて実機にはない貫通路が後部にあったり、台車の数が二つだったりと実車と異なる部分が幾つか見受けられる。