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中世ヨーロッパの編集履歴

2020-12-18 10:40:24 バージョン

中世ヨーロッパ

ちゅうせいよーろっぱ

西ローマ帝国滅亡(476年)のあたりから東ローマ帝国滅亡(1453年)の前後のヨーロッパ。 長い目で見ればローマ皇帝ユスティニアヌス時代からアメリカ合衆国建国までの間。

概要

西ローマ帝国滅亡(476年)のあたりから東ローマ帝国滅亡(1453年)の前後のヨーロッパ

騎士が活躍し、それまでのローマ帝国ゲルマン人たちの諸王国も騎士たちの所領に細かく分解されていった。皇帝とか国王と言った存在が直接支配しているのは首都近辺に過ぎない、まさに地方分権の時代である。


大雑把に「前期中世」「盛期中世」「後期中世」に分けられる。


ローマ帝国に代表される古代の文化が失われて、キリスト教文化が広まった。これを古代を賛美する近世・近代の立場からは一般的に「暗黒時代」とか言われる。しかし、なにしろ千年以上にわたるため、この時代を一口で表すことは難しい……というかムリ。


あらすじ

前期中世(5世紀~10世紀)

西ローマ帝国滅亡後、ヨーロッパはゲルマン人国家が乱立する戦国乱世に突入する。

それだけではなく、東からは版図を取り戻そうとする東ローマ帝国、南からはイスラーム勢力、北からはヴァイキング勢力の侵略を受け、まさに麻のように乱れたヨーロッパから、かつての光輝あるローマ文明は完全に消失してしまった。


それでもやがて、ゲルマン国家の中から統一国家が興る(フランク王国)。一時的にせよローマ帝国が復活する。


その後フランク王国

に分裂。


宗教世界でも(キリスト教

がやはり小競り合いをしていたのである、

正教会ではローマ皇帝が「神・キリストの代理人」であるので敬えと言い、

カトリックでは「ローマ教皇」こそがキリストの教えの後継者であるからこちらを敬えというのである。

両者の溝は西ローマ帝国が消滅してから東ローマ帝国との長い付き合いの間に深まっていく。


そして1054年にローマ教皇とコンスタンティノープル総主教の相互破門がおこる(大シスマ

これにより、東西のキリスト教の交流関係は一旦断絶するにいたり今日に至る。

東ローマ帝国ヨーロッパ諸国も互いに国交が断絶に近い状態となったあと、ヨーロッパはいわゆる「ヨーロッパ風」な習慣・文化に変化していった。


盛期中世(11世紀~13世紀)

気候の温暖化と開墾の伸張により、やがてヨーロッパの人口は大幅に増加する。

人余りの状態になったヨーロッパでは、土地をめぐっての領主・騎士たちの小競り合いが続発していた。

これを憂慮した時の教皇ウルバヌスは、十字軍というウルトラCの作戦を決行する。あまった人材、軍隊、難民、全部もろもろを中東に押し付けたのである。

文化的にも財政的にも優れていた中東との交流・交易によって、ヨーロッパは急激に豊かになっていく。


後期中世(14世紀~15世紀)

しかし最終的に、十字軍は失敗する。東方侵略植民の目処を失ったヨーロッパは、再び国家同士の対立する時代に戻る。

おりしも気候は寒冷化し、飢饉が頻発。そしてトドメとばかりに黒死病が襲ってくる。

わずか二年間で、ヨーロッパの人口は三分の二まで激減。同時に、騎士・在地領主の時代も終わりを迎えていた。新興のジェントル・商人たちが、やがて主役に躍り出る。ルネサンスの幕が開くのである。


ローマ教皇という絶対的権威

カトリックを信奉する人々の間ではローマ教皇の権威が大いに高まっていた。

イタリアではローマ教皇はヴァチカンを中心に直轄地も保有していた(教皇領)。


東ローマ帝国の滅亡

ヨーロッパが百年戦争を終結した直後東ローマ帝国がイスラム教オスマン帝国に滅ぼされる大事件が発生する。その後オスマン帝国の君主は「ローマ皇帝」も自身の称号に加えることになる。


他方ロシアではモスクワ大公国が、滅亡した「ローマ帝国」の後継者を自任しツァーリ(ロシア皇帝)を名乗りだす。のちのロシア帝国である


オスマンの侵入を避けて東ローマ帝国から逃れた知識人と彼らの携えた古代の文化は欧州に大きな影響を与え、ルネッサンスが始まる


オスマン帝国イスラム教ヨーロッパ東欧などを手にいれるなど

ヨーロッパ人は脅威にさらされる。

このときの苦難がヨーロッパ諸国の体質変換を促し絶対王政に始まる統一国家思考が動きだす。


その間に騎士軍団から常備軍へと転換を促しさらに技術の発達により、銃をつかう騎士=銃士が誕生、絶対王政の常備軍の中核となっていく。


その間にも大航海時代がおこり(15世紀中ごろから17世紀中)

ヨーロッパ人によるインド・アジア大陸・アメリカ大陸などへの植民地主義的な海外進出が可能になった。


こうしてヨーロッパは中世とは少し異なる時代に代わっていった。これを近世と呼ぶ。


中世の創作について

日本のサブカルチャーにおける「中世ヨーロッパ風」と称される世界観は、『ウィザードリィ』や『ドラゴンクエスト』の影響を多大に受けており、中世ヨーロッパの風俗をリアルに描いたものはほとんどない。概ね後期中世からルネサンス以降の近世をベースに、中世盛期のイメージを交えたものが多く、甚だしくは近代産業革命期の風俗が大幅に混入したものもあり、定義の曖昧さにより作品によってその世界観に差は大きい。ナーロッパも参照のこと。


関連タグ

中世 ヨーロッパ 西洋 歴史区分

世界史 歴史 歴史創作 騎士

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