ムーミン化したキャラにそのキャラのセリフ喋らせて2コマ目でアップにすると漫画的に大抵どうにかなる
むーみんかしたきゃらにそのきゃらのせりふをしゃべらせてにこまめであっぷにするとまんがてきにたいていどうにかなる
事の発端とその後の流れ
油朝氏による元ツイート(2014年2月16日)
#ムーミン化したキャラにそのキャラのセリフ喋らせて2コマ目でアップにすると漫画的に大抵どうにかなる
https://twitter.com/102_yuasa/statuses/434900712804208640
これを受け、Twitter上ではキャラをムーミン化した2コマ漫画が大量にアップされちょっとしたブームとなった。
また、Twitterのハッシュタグという性格のためか、出回るうちに伝言ゲームのように当初の趣旨から外れ、
1コマ目にセリフが無かったり、2コマ目にセリフが加わったり、3コマ目が増えたりといった事態にも発展した。
(ついでに言うと、タグ作成者自身が既に元ツイートで2コマ目改変を行っていたりする)
なお、同氏による「#ムーミン化したキャラにそのキャラのセリフ喋らせて2コマ目でアベさんにすると漫画的に大抵どうにかなる」は、誰ひとり描く者が現れなかった模様。
https://twitter.com/102_yuasa/status/434907808757071873
ちなみに、今年(2014)は原作者のトーベ・ヤンソン生誕100周年にあたるが、おそらく何も関係ない。
概要
「2コマ目でアップにすると漫画的に大抵どうにかなる」とあるが、
実際は既存のキャラをムーミン化した1コマ目の時点でほぼネタは完成している。
ムーミン体型になることの可笑しさと見た目のキュートさ、
元キャラ&セリフを知っているという共有感とニヤリ感、
「そもそも何故ムーミンなのか」という根源的な疑問と恐怖、
これらが同時に襲ってくるわけである。
早い話が「出オチ」である。
2コマ目のアップは「説明の放棄」を意味し、1コマ目の可笑しさを補強する役割を持つ。
その際、集中線でドヤ感を出すか、虚無の目でシュールさを出すかは作者次第。
また、あえて顔以外をアップにすることで意外性を演出する場合もある。
あくまで「大抵どうにかなる」なので、惜しくも「どうにもならなかった」作品も少なくない。
一方、「どうにもなっていないところまで含めてネタ」という向きもある。
また、「どうにかなる」とは言っているが「面白くなる」とは言っていないので、
「面白くない」「つまらない」といった批判を跳ね返すたくましさがある。
2コマ目で下手に小細工しなければ、どんなものでもそれなりの形になり、
また、読む側の想像力に全てを委ねる性質を持っているため、ある意味「卑怯」な方法といえる。
「タグの長さが一番笑える」という話もあるが、それは言わない約束である。
ムーミン愛好家の主な反応
昔からのムーミン好きは、この突然のブームをどう思ったのか。
ひとくちに「ムーミン愛好家」といっても、
「ムーミン好きにはたまらない!」
と手放しに歓迎する者、
「面白いけど、ムーミンタグがパロ絵だけで埋まるのはちょっと…」
とやや難色を示す者、
「これをきっかけに、ムーミンファンが増えてくれると嬉しい♪」
とポジティブに期待する者、
「大抵髪が生えてるから、正しくは『スノーク化』だね」
と冷静に分析する者、
「ネタの内容よりも、いかにあの魅惑のフォルムを殺すことなく描いてくれているかに注目している」
とムーミン体型の再現性にこだわりを持つ者、等々、反応は様々である。