ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

真田裕貴の編集履歴

2014-05-06 17:33:04 バージョン

真田裕貴

さなだひろき

東京ヤクルトスワローズの投手。

球歴:姫路工→巨人→横浜→巨人→兄弟エレファンツ(台湾)→東京ヤクルト


高校3年時、姫路工業高校の主戦で四番として春のセンバツ甲子園に出場経験あり。

投打にわたる活躍をしながらも初戦敗退で涙をのむ。



夏は兵庫県大会決勝戦にてグエン・トラン・フォク・アン擁する東洋大姫路高校に敗退して惜しくも甲子園出場を逃しているが、その後のAAAアジア野球選手権日本代表に選出され活躍している。


2001年のドラフト会議で読売ジャイアンツから寺原隼人の外れ1巡目で指名され入団。



1年目はシーズン序盤からイースタン・リーグで好投し、対日本ハムファイターズ戦では相手のバットを8本折り、「あんなえげつないスライダー(またはシュート)は初めてだ」と言われた[1]。後半戦は一軍の先発ローテーションに定着し、6勝3敗の成績を残し優勝に貢献。シュートを持ち球にしていること、死球を恐れない度胸と投球術を絶賛された。ドラフト制導入後に高卒1年目で6勝以上を挙げたのは球団史上堀内恒夫以来36年ぶりだった。


翌年はプロ初完投なども記録したが先発としては精彩を欠き、開幕以降1ヶ月以上勝てなかった。その後シュートを見込まれリリーフに回るがリリーフ陣が崩壊状態だったため、リード時の中継ぎ、抑えのみならず、ビハインド時にも登板した。監督の原辰徳には「入団当初の球が戻ってきた」と評価されたが、連投の負担から右肩痛を発症すると7月26日に登録抹消され、以降このシーズンの登板はなかった。

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました