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経歴編集

球歴:姫路工→読売ジャイアンツ横浜ベイスターズ→読売ジャイアンツ→兄弟エレファンツ(台湾)→東京ヤクルトスワローズ→福島ホープス→福井ミラクルエレファンツ



高校3年時、姫路工業高校の主戦で四番として春のセンバツ甲子園に出場経験あり。

投打にわたる活躍をしながらも初戦敗退で涙をのむ。


夏は兵庫県大会決勝戦にてグエン・トラン・フォク・アン擁する東洋大姫路高校に敗退して惜しくも甲子園出場を逃しているが、その後のAAAアジア野球選手権日本代表に選出され活躍している。


2001年のドラフト会議で読売ジャイアンツから寺原隼人の外れ1巡目で指名され入団。


1年目はシーズン序盤からイースタン・リーグで好投し、対日本ハムファイターズ戦では相手のバットを8本折り、「あんなえげつないスライダー(またはシュート)は初めてだ」と言われた。後半戦は一軍の先発ローテーションに定着し、6勝3敗の成績を残し優勝に貢献。シュートを持ち球にしていること、死球を恐れない度胸と投球術を絶賛された。ドラフト制導入後に高卒1年目で6勝以上を挙げたのは球団史上堀内恒夫以来36年ぶりだった。


翌年はプロ初完投なども記録したが先発としては精彩を欠き、開幕以降1ヶ月以上勝てなかった。その後シュートを見込まれリリーフに回るがリリーフ陣が崩壊状態だったため、リード時の中継ぎ、抑えのみならず、ビハインド時にも登板した。監督の原辰徳には「入団当初の球が戻ってきた」と評価されたが、連投の負担から右肩痛を発症すると7月26日に登録抹消され、以降このシーズンの登板はなかった。


2004年以降は前年の登板過多が遠因で肩を庇う癖がつきフォームが小さくなっていったといい、同年は二軍の先発ローテーションとして規定投球回に達したが防御率5.91と内容は悪く、シーズン終盤に一軍で登板したが結果は出ず、2008年、若手の西村健太朗が台頭したこともあり、6月10日に鶴岡一成とのトレードで横浜ベイスターズへ移籍。


移籍当初は中継ぎで起用され、7月2日の対広島東洋カープ戦で2年ぶりに勝利投手となる。その後はチーム事情から5年ぶりに先発ローテーション入りしたが、先発では結果を残せなかった。シーズン終盤はリードされた場面の登板が主となったが、移籍後に行ったフォーム改造が功を奏して最速148km/hを計測するなど球威を取り戻し安定した投球を続けた。同年オフに背番号を30に変更。


2009年は開幕から中継ぎで起用され、敗戦処理からセットアッパーまでこなして自己最多となる68試合に登板して防御率2.98、19ホールドと自己最高の成績を収めた。また2010年8月1日の対東京ヤクルトスワローズ戦で史上29人目の1球勝利を挙げた。同年は8敗して防御率も前年より悪化したが、リリーフとして62試合に登板して16ホールドを記録した。


2011年は主にビハインドの場面で53試合に登板した。オフにアーン・テレムと代理人契約を結び、ポスティングシステムでのメジャー挑戦を表明。12月7日に締め切られたが、入札球団はなかった。その後も米球界への移籍を目指し、球団は本人の意志を尊重し、自由契約とする方針をとり、12月16日に自由契約公示された。だが公開トライアウト後も契約には至らなかった。


2012年3月19日に巨人と契約合意に至り、4年ぶりに復帰することになった。年俸3000万プラス出来高払いで背番号は29。


5月9日の対DeNA戦に8回から登板するが、打者4人に対し1アウトも取れずに4連続安打され、3失点で降板。9月に右足関節の手術を受け、この年1軍での登板はこの1試合のみに終わった。シーズン終了後の11月4日に戦力外通告を受ける。


2013年1月23日、台湾・中華職業棒球大聯盟の兄弟エレファンツの入団テストを受け合格し、2月9日正式に契約した。同年7月、監督推薦で台湾球宴メンバーに選出される。同年8月15日、CPBL新記録となるシーズン27ホールドを達成、史上最多となる32ホールドで中継王(最優秀中継ぎ投手)のタイトルを獲得した。中継ぎ部門での日本人選手の受賞は初という快挙であった。


2013年、11月29日にヤクルトへの入団が発表された。オープン戦では結果が出せず、開幕は二軍スタートになった。

10月1日戦力外となった。


2015年はBCリーグ・福島ホープスの投手兼任コーチとして、2016年途中までは福井ミラクルエレファンツでコーチとして活動。


その後、打撃投手として古巣巨人に5年ぶりに復帰した。現在はスコアラー室に勤務。


最速150km/hの速球とシュートを軸に、スライダーも交えて左右へ散らして打たせて取る投球スタイルで、奪三振率は低い。緩急や縦の変化を補うためにカーブ、フォークボール、チェンジアップなども投げるが、精度が低いことからボールカウントを悪くしたり狙い打ちされることが多い。


人物編集

犬好き(トイプードル)である。


大阪生まれ兵庫育ちということからプロ入り当初は「阪神ファンですか?」と聞かれていたが、東京育ちで巨人ファンの父親の影響もあり巨人ファンである。


逆指名・統一ドラフト制度下で巨人が高卒選手を1位指名したのは真田と原俊介の2人だけである。


入団会見ではセールスポイントを訊かれ「溶接とか…」と工業高校出身らしい回答をした。


横浜に移籍した際、同時期に中日ドラゴンズから移籍した石井裕也とともにTBSの『バース・デイ』でその様子を取り上げられた。


2012年に巨人に復帰したが、4年前のトレード相手であった鶴岡もFAを行使し、同シーズンから古巣のDeNAに復帰しており、共に同じ年に元在籍球団へ復帰する形となった。

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