概要
1897年8月18日、「第一、二期海軍拡張計画」により「第二号甲鉄戦艦」として英国クライド・バンクのジョン・ブラウン社で起工。1899年3月13日、進水。1900年7月31日に就役。
第一次世界大戦では1918年に第三艦隊第五戦隊の旗艦としてウラジオストック方面の警備に従事した。1921年には海防艦へ類別が変更されている。1923年、特務艦に編入し、練習特務艦となる。
太平洋戦争開戦により第2艦隊に配属されカムラン湾に進出、1942年2月にシンガポールが陥落すると翌月には同地に進出、工作艦明石と共に損傷修理に活躍した。同年5月22日に自身の修理と北方方面への移動の為にシンガポールを出発、日本へ向かった。しかし、旧式低速の大型艦であったため敵潜水艦の格好の目標となってしまい、5月25日の深夜にカムラン湾南東で米潜「サーモン」の雷撃を受け左舷に2発が命中、翌26日午前1時過ぎに転覆沈没した。