1917年就航、1944年戦没。
国家の威信をかけて建造された艦ではあったが、機関や主砲の配置に問題があり、幾度となく改装を繰り返した結果『艦隊にいるよりドックにいるほうが長い』、「欠陥戦艦」となってしまった。
太平洋戦争においてはほとんど戦闘に参加せず内地で練習艦として使われていたが、戦況の逼迫に伴い、レイテ沖突入作戦に投入された。
最期は姉妹艦の扶桑とともにスリガオ海峡で戦没。
「扶桑」との見分け方
扶桑との見分け方は三番砲塔の向き。
扶桑が前向きなのに対して、山城は後ろ向きについている。
また、この砲塔の向きに関連して艦橋の形状にも変化があるため、そちらで区別することもできる。