概要
太平洋戦争中に建造された日本海軍の軽巡洋艦で、阿賀野型の四番艦。戦争末期に竣工したため、作戦参加の機会もなく太平洋戦争終戦時は最後の水雷戦隊旗艦として七尾湾にて無傷で残存していた。終戦後、復員船として活動した。
・1942年11月21日、佐世保工廠で起工。1944年4月9日進水。同年11月30日竣工。
・1945年3月には僚艦の矢矧とともに天一号作戦に参加する予定となり呉に移動したが、直前になって酒匂の出撃は中止され、呉工廠岸壁に係留。燃料不足のため、陸上から電気を引きボイラーの火は消された状態となった。終戦時は七尾湾にて無傷で残存。1945年10月1日除籍。
1945年12月1日特別輸送艦に指定され釜山やニューギニアなどで復員輸送に従事。阿賀野型巡洋艦の定数乗組員900名に対し、この時点の酒匂には300名しか乗艦しておらず、武装を撤去し、甲板に居住区やトイレが設置された。武装は15cm砲のみ撤去し、砲塔は残っていた。
・1946年2月25日に特別輸送艦の指定を解除されたあと、核実験(クロスロード作戦)の標的艦として戦艦長門などとともに、横須賀でアメリカ海軍に引き渡された。日本海軍乗員による操縦指導が東京湾で行われたが、意思疎通不足によって主蒸気管が閉鎖されないまま巡航タービンのクラッチが切られた。負荷が取り除かれた巡航タービンは規定回転数を超えて暴走し、その轟音を聞いた日本兵と米兵はあわてて逃げだして事なきを得た。結果タービン1基が破損し3軸運転となった。操縦指導は20日間に渡って実施された。ビキニ環礁への移動に2名の日本兵の添乗が求められたが、日本兵が断ったためアメリカ海軍兵員によってのみ行われた。
同年7月1日、ビキニ環礁で行われた核実験では、艦のほぼ上空で爆弾が爆発し、その強力な爆風により艦橋より後方の構造物がすっかりなぎ倒される。7月2日、丸一日近く炎上した後に沈没した。