1951年生、福岡市出身。実家は福岡の土建業および土地利権に大きな影響を持つゼネコン
「松本組」であり弟がその社長を務める。
養祖父は「部落解放の父」と呼ばれた部落解放同盟の大御所的存在松本治一郎。父は元参議院議員の松本英一。
いわば部落解放同盟、地方大手ゼネコンのプリンスともいえる存在で、そのバックから選挙では鉄板の選挙強さを誇っていた。
1990年に社民党から立候補して当選、政治家デビューを果たすも後に社民党を
離党し民主党に傘下。
2010年9月17日、菅第1次改造内閣において環境大臣兼内閣府特命担当大臣(防災担当)に就任し、
初入閣を果たした。
しかし以前から元々放言癖で問題になったことが度々あり、東日本大震災の対応に
当たっていた最中の2011年7月、面会した岩手県知事達増拓也と宮城県知事村井嘉浩に
対して数々の暴言を吐いたことが問題となり大臣辞任に追い込まれた。
さらに2012年12月の衆議院選挙では民主党の失策からの逆風に加え長い不景気から地元福岡の
土建業者の離反を招き、さらに自民党の中でも松本家と共存路線をとってきた山崎拓らが
引退、これを機に福岡の切り崩しを図る麻生太郎が元県議の井上貴大を対抗馬として投入し自らも積極的な支援に乗り出し、まさに仁義なき戦いの選挙戦のあげく、松本は鉄壁だった地盤を失い落選し、2014年10月に次の選挙に出ないことを表明したものの、事務所はそのまま残し完全引退かは微妙な状態である。