概要
関ヶ原の戦いの後減封された毛利氏が広島城に代わる新たなる居城として1604年に指月山に築城した城。
別名指月城。
指月山頂上に築かれた詰丸と呼ばれる要害とセットになっている。
一方で山麓に築かれた本丸は平城であるが分類上は平山城となっている。
阿武川河口の三角州を整備して城下町も築かれた。
天守は五層で真っ白な外壁だったという(現存していない)
1605年の築城途中の時期に石垣用の石が大量に盗まれるという五郎太石事件が起こっている。
明治に取り壊された後現在も再建はされていない。
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