概要
生い立ち
サラディンは、セルジューク朝に仕える役人ナジムッディーン・アイユーブの息子として生を享けた。母の名は不明。本名はサラーフッディーン・ユースフ・イブン・アイユーブ・イブン・シャージー で、サラディンは通称である。
幼き頃から戦いに巻き込まれたサラディンはレバノンやアラビアなどを転々としたのち、ダマスカス(今のシリア)に落ち着く。そこで30歳を過ぎるまで過ごした彼は、ポロ(乗馬して行う球技)で遊ぶのが大好きで、読書や武芸なども嗜む青年だったという。
覇権確立
サラディンは数え年15歳頃から、ヌールッディーンという君主に一門と共に仕えたが、ヌールッディーンの晩年には独立状態を構築。1169年以降には死んだ叔父が仕えていたエジプトのファーティマ朝の軍権と宰相職を受け継いだ事が危険視されたからだとも言われる。
その後、ヌールッディーンが亡くなるとサラディンは彼の息子や側近と話し合いの場を設け、無血で和睦し、エジプトやシリアの覇権を確立した。
十字軍戦争
天下を取ったサラディンだったが、彼には十字軍という大敵が出現する。侵略者である十字軍の国・エルサレム王国軍をサラディンは撃破し、聖地を奪い返す快挙を果たしたのだった。その時に、捕まえた捕虜を許し、身代金すら取らなかった寛大な処置は有名。
1189年に起きた第三次十字軍は彼にとって最大の難関ともいえる戦いだった。フリードリヒ1世やリチャード1世と言った猛者が率いる欧州の軍が攻めてきたのだ。アッコンを陥落させられるなど苦汁をなめたサラディンであったが、猛攻に耐え抜いた彼は1192年にリチャードとの和睦を成立させる。エジプト、そしてイスラム世界の危機は去ったのだった。
その翌年の1193年にサラディンは崩御した。享年66歳、異教徒や異民族に対しても情けと対話で臨んだ人格者の最期だった。