赤川元保(史実)
赤川元保(生年不詳 - 1567年3月/永禄10年)は、安芸国の毛利氏に使えた家臣。
毛利元就が家督相続した際に、起請文に署名した宿老15人の中の一人として、兄とともに元就を支えた。
赤川元保(戦国BASARA弐)
CV:興津和幸
概要
毛利元就に仕える側近武将。元就とは違い大らかな物腰だが、その正体は豊臣側の間者であった。
日輪の完成後、毒を盛った酒で元就の謀殺を謀るも、豊臣の間者であることを見抜いていた元就にその場で斬り殺された。
なお、豊臣の間者とは言えど家臣としては優秀であったようで、殺害された後も元就からはそれなりの称賛の言葉を受けており、「捨て駒界のカリスマ」として捨て駒一同から一目を置かれている。