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三遊亭圓歌の編集履歴

2015-09-28 23:16:53 バージョン

三遊亭圓歌

さんゆうていえんか

三遊亭圓歌は落語の名跡。当代は三代目。

本名:中沢 信夫

戦前は国鉄職員として、駅員を務めた。

終戦後に退職、2代目円歌に入門した。前座名・歌治。

1948年4月に二つ目に昇進し、2代目三遊亭歌奴に改名。(初代歌奴は師匠・2代目円歌の前の名前)

1958年9月に真打昇進。

この頃黎明期のテレビ演芸番組に多く出演し、1960年代は売れっ子芸人の一人に。

一時期「笑点」の大喜利メンバーとして出演したり、昭和天皇の前で御前公演をしたり、浪曲師に弟子入りもした。

1970年9月、以後はテレビ出演を控え、高座に専念。


1985年に出家。日蓮宗久遠寺で修行し、僧侶と噺家の二つの草鞋を履く。

年配になってからの仏門へ入門だったため、お経を唱えながら水垢離を行っている最中に心筋梗塞で倒れ入院、退院後の病室は著名人が立て続けに入院して亡くなっていったこと、マスコミからの問い合わせに対し、弟子が言い間違えて『病状は(自主規制)です。』と答えたこと、自分の両親、亡くなった前妻の両親、再婚した妻の両親と計6名と同居していたことを創作落語『中沢家の人々』でネタにしている。


高座では初めて黒以外の色の紋付きを着て務めたり、メガネを掛けて高座を務めた人物である。



落語協会では副会長⇒会長⇒相談役(現在)についている。

弟子も多く、その中には初の女性で真打になった三遊亭歌る多、大相撲出身の三遊亭歌武蔵がいる。

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