概要
アメリカ領ウェーク島はハワイと日本領の南洋諸島の間にあり、日本が対米戦を行う上で目の上のたんこぶのような存在であった。
1941年12月8日に真珠湾攻撃が行われると同時に日本海軍の陸上攻撃機による爆撃が行われ、同島の守備隊(兵員500人と戦闘機五機から十数機)は大損害を負ったと考えられたため、11日に攻略部隊による上陸作戦が行われたが空襲を耐えた陸上砲台の砲撃と戦闘機部隊の決死の攻撃により駆逐艦[[疾風、[[如月を撃沈されるなどの大損害を負い、一旦同島から撤退した。
22日に真珠湾攻撃を終えた南雲機動部隊から空母蒼龍・飛龍を引きぬいて再攻撃が行われ、ウェーク島のアメリカ軍戦闘機部隊は玉砕、同島の守備隊は降伏した。
余談
占領後、陸戦隊士官が米士官に対し、飛行場の弾痕を埋める為の作業に、300名の作業員を要求したところ、米士官は数名で十分と言い、怒った陸戦隊士官の何日で出来るか?の問いに1日もあれば十分と言うので、翌日にやらせてみると倉庫からブルドーザーを引き出して、半日で作業を終えたという。またこれまで肉体作業でやって来た土木工事を、短時間で大量にやってしまうブルドーザーを見て、海軍の関係者は「これ程技術と作業速度に差があるなら、アメリカとの戦争は苦しいものになるだろう」と言ったと言われている。
このブルドーザーという重機を目の当たりにして驚いた陸戦隊の士官達は、見本として日本に持ち帰り、後に海軍の要請で小松G40型ガソリントラクターにドーザーを追加し改造した、小松一型均土機が実用化されている。なお、ウェーク島にはブルドーザーの他にパワーショベルもあったが、こちらは国産化できなかった。