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嘉門達夫の編集履歴

2016-01-20 10:19:05 バージョン

嘉門達夫

かもんたつお

元落語家のギター漫談家及びシンガーソングライター。

替え歌メドレーと鼻から牛乳でスマッシュヒットを飛ばした。

元は落語家を志しており、笑福亭鶴光門下であった。だが破門され、しばらくアルバイトで食いつないでいたとき、アミューズの大里氏を通して、桑田佳祐と交流をもつようになる。ちなみに、彼の芸名は、桑田の変名のひとつ、嘉門雄三から与えられた。

1983年、「ヤンキーの兄ちゃんのうた」が大ヒット。翌年の「ゆけ!ゆけ!川口浩!!」もヒットを飛ばした。

替え歌メドレーは彼の代名詞の一つで、1992年には替え歌メドレー1〜4を編集したバージョンで紅白歌合戦にも出場している。

ただ、替え歌の歌詞を作るのは結構苦労がいるらしい。というのは、元の歌の持ち主、また歌詞に登場する人物のイメージをズタズタにする(本人談)ため、後で怒られることが多いそうだ。

しかし、八代亜紀は「誰も知らない素顔の八代亜紀」(「リバーサイドホテル」)を自分で歌い、荒井注は「あなたはもう忘れたかしら 荒井注がドリフにいたのを」(「神田川」)という歌詞に対し、替え歌メドレー3で嘉門と共演し、往年のギャグを披露している。さらには先述の紅白歌合戦で「キャラメル拾ったら箱だけ~」(「函館の女(ひと)」)を北島三郎御大の目の前で披露した(ちなみに本人はずっこけていた)。

桑田佳祐と小室哲哉槇原敬之は自身の代表曲を替え歌にするのを快く許可したという。

(替え歌といえども著作権も発生する為、ライブで歌うなりCDリリースする場合は原曲の著作権者(作曲者・作詞者・歌唱者)の許可を得ている。)

嘉門の替え歌メドレーに入っていることで、今なお生命を持つ歌もあるだろう。

また、コミックソングだけではなく、「僕たちは本当に正しい道を進んで来たのだろうか」と呼びかける、メッセージ性の強い名曲も歌い上げる(「明るい未来」など)。この辺は桑田や、所ジョージなどの姿勢と共通する。

関連動画

関連タグ

笑福亭鶴光:元師匠

桑田佳祐:ゴッドファーザー

中京テレビ ラジオDEごめん:元ネタ源

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