オスカー(不沈のサム)
おすかーはしずみません
概要
かつて帆船の時代から、船と猫の関係は深い物であった。積載品を狙うネズミの退治係として、あるいは幸運のマスコットとして、はたまた乗員達のアイドルとして。
そんなわけで戦艦ビスマルクにも猫が乗っていたわけなのだが、1941年5月末の事、ビスマルクはその戦歴における最初で最後の作戦・ライン演習作戦にて英国海軍の猛攻撃を受け、撃沈されてしまう。
この戦闘におけるビスマルクの生存者は総員2,206名に対して115名というものであったが、この際に偶然、その猫も英国海軍の駆逐艦コサックによって救助され、そのままコサックの船乗り猫として居残ることとなった。(この時点で"オスカー"と呼ばれていたようである)
そして、同年10月末。駆逐艦コサックはジブラルタルからイギリスへ向かう船団護衛の任務に就いていたが、その途中でUボートからの雷撃を艦首に受け、大破。修理のためジブラルタルへと曳航される中、悪天候に遭遇し、結局沈没してしまった。この攻撃での被害は乗員219名中159名が戦死するという大きなものであったが、オスカーはここでも生き残り、なんと破壊されたこの艦首の破片に乗ってジブラルタルの海岸に漂着し、駐留英国海軍に拾われたのである。
その後、この猫は「不沈のサム(Unsinkable Sam)」と呼ばれるようになり、偶然にも以前コサックと共にビスマルク追撃戦に参加していた空母アークロイヤルに乗り込むこととなったのだが、そのわずか数週間後の11月半ば、このアークロイヤルもマルタへの戦闘機輸送作戦の帰途でUボートの雷撃を受けて損傷。曳航されたものの浸水が酷く、横転し沈没してしまった。
この際にもサムは生存者1560名とともに駆逐艦リージョンとライトニングに救助されたのだが、流石に以降は艦に乗り組むことは無く、ジブラルタル総督の元に預けられた後に後送され、北アイルランドはベルファストの船員宅に引き取られて余生を過ごし、1955年にこの世を去ったのであった。
真相?
……と、いうのが巷間流れている「オスカー(不沈のサム)」の逸話なのであるが、実はこの話には
- ビスマルクにそういう猫がいた事を示すような書類・写真・証言等が無い
- 駆逐艦コサック乗員協会の事務局長によると、当時コサックはビスマルクより相当離れた位置におり、沈没艦から猫を拾うのは物理的に無理があると考えられる
- アークロイヤルの沈没時、生存者の救助は非常に秩序だった落ち着いた状況であったにもかかわらず、そこに猫がいたという話が無い
- 様々な写真(別の艦の猫であることが確実な写真や、柄の違うように見える複数の猫)や絵が「オスカー(不沈のサム)である」とされて(特にネット上では)出回っており、これという姿を表したものが無い
……といった、記録されている事実とは符合しない部分や整合性の取れない部分が多々あり、研究家の間では「イタリア軍砂漠でパスタ伝説」と同様の、いわゆる戦史における都市伝説の類であることが有力視されている模様。
なお、英国国立海事博物館にはGeorgina Shaw Baker (1860-1951)というイギリス人画家の手になる『Oscar, Cat from 'H.M.S. Bismark'』(注:ただし、H.M.Sというのは"His/Her Majesty's Ship"を略した英国海軍艦艇の艦船接頭辞である)と題された作品が収蔵されている他、1941年11月の日本の新聞でもすでに一連のストーリーとして紹介されていたという情報もあり、実は話としては当時から流布されているものであり、相当古い成立である事をうかがわせる。
余談
2015年9月20日、ゲーム『艦隊これくしょん』において、ドイツ出身の駆逐艦娘レーベレヒト・マースにディアンドル姿の期間限定グラフィックが実装された。
被弾した姿のイラストでは肌の露出をガードするかのように白黒柄の猫がくっついており、運営の公式ツイートで「不沈猫」と言及された事でオスカーをイメージしている事が確定され、「艦これ」提督(プレイヤー)にも一気に知れ渡ることとなった。
ただし、艦これ公式4コマにおいて戦艦娘ビスマルクが白黒柄の猫を「オスカー」と名付けて引き取っていたのでそちらで既に知っていた提督も多い。