剣豪将軍
けんごうしょうぐん
剣豪将軍とは、室町幕府第13代征夷大将軍・足利義輝の異名の一つと言われてるが
創作の可能性が高い。
概要
鹿島新当流の開祖塚原卜伝から、剣術の指導を受けた直弟子の一人とされ、武家の本分として武術を修めたことから由来しているものと思われる。
永禄の変にて松永久秀らに二条御所で襲われた際、「畳に刺さった刀を刃こぼれするたびに変えて相手側を切った」という江戸時代後期作の日本外史の記述も関係していると思われるが、永禄の乱からもっとも近い時期に記録された「言継卿記」やフロイスの手紙及び彼の著書である「日本史」には、そのような記述は存在しない。
同様に義輝が剣術において免許を皆伝したという明確な記述も存在していない。また剣豪「将軍」というが、将軍に対する当時の呼び方は、「公方」「大樹」「室町殿」と呼ぶのが一般的であった。
つまり史実の義輝とは一切無関係であり、完全なるフィクションとしての呼称である。
「畳に刀を刺して戦った」という部分については、フィクションながらも「物理的に考えて、畳に刀を刺して一箇所で戦ったら鉄砲で蜂の巣にされるだけでは?」とか、「むしろ自分の周りに刺さった刀が邪魔」とか、「松永久秀および三好三人衆に急襲されたにも関わらず、わざわざ刀を倉から持ってきて床に刺すなどという悠長な事が出来たなら、そもそも死んでいない」と多方面から突っ込みを受けている。