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編集者:三月兎
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空中給油機

くうちゅうきゅうゆき

飛行しながら航空機に燃料を補給できる航空機。どうしても重くなるため、搭載力のある輸送機や爆撃機を改造することが多いが、場合によっては戦闘機や攻撃機同士で給油しあうこともある。

空中給油(芸目)

1921年11月2日、軽業師ウェスリー・メイが近接して飛行する複葉機の翼を渡り、もう1機にガソリン缶を届けるという曲芸を披露し、これが世界初の空中給油事例となった。その後、1923年6月27日、アメリカで海軍航空隊の2機が空中でホースを渡して燃料を注入するという、本格的な空中給油に成功している。

だが、この当時ではそれ以上は求められなかった。

この頃にあくまで「サーカスの曲芸」の延長にとどまったのは、長距離を無着陸で飛行しなければならない必要性が薄く、また航空機そのものも機械が未発達で、なにかと故障が頻発しては着陸を余儀なくされることは多かったからなのだった。

空中給油(実用)

しかし、第二次世界大戦が終結し、アメリカソビエトという二大国家が政治的・軍事的に対立するようになると状況は変わった。

核爆弾が現実のものとなり、広島長崎はその最初の犠牲になっていた。

また戦略爆撃理論(当時勢力の強かった)では「開戦後、速やかに敵国中枢を(軍民問わず)壊滅させれば、敵は平和を求めて和平を求めてくる」としており、こうして来たる核戦争は『開戦とともに都市には核爆弾が雨のように降りそそぎ、人間はすべて死に絶えてしまう』ものと予測されていた。

だが、相手国に核爆弾を降らせるのはいいとして、そのためにはどうすればいいだろう。

第二次世界大戦終結当時は、アメリカでも本土からモスクワへ到達できる爆撃機は存在せず、またソビエトに至っては開発計画すら存在しないという有様だった。そこでアメリカでは元々はベルリン向けだったが、手持ちの中ではどうやら実際にモスクワに到達できそうな爆撃機の開発を進めた。

一方、また時代はジェットエンジンとなり、増え続ける燃料消費への対応として、燃料搭載の拡大ではなく「空中で燃料を補給する」というアイデアを再発見し、試行錯誤の末にアメリカでは「フライングブーム」、イギリスでは「ホース&ドローグ」という方法を開発した。ソビエトでも翼端に着けたホースを、受油機の翼端につけたアダプターに接続して給油するという方法を開発している。

(このあたりの詳細は空中給油を参照のこと)

こうした実用化ののち、本土から給油なしでモスクワを狙うという考えは薄まり、空中給油で航続距離を伸ばして往復するという考えに発展していった。さらにこの考えも、有人の爆撃機はICBMへと置き換わり、こうして巨大な爆撃機は命運尽きて現在へ至っている。

空中給油(現在)

今では「空中給油なしでは、現代の航空戦は考えられない」とさえいわれる。

最新鋭の戦闘機でさえ、燃料と兵装を満載しては最大離陸重量を軽く超過してしまう。そこで兵装満載のまま、燃料だけを減らして離陸し、不足する燃料は空中で補給するという運用が行われるようになった。

また、ヘリコプターを用いたヘリボーンや捜索救難任務のように固定翼機では不可能で脚の短いヘリを長距離展開するためには必須となっている。

フォークランド紛争におけるブラックバック作戦のように、もはや「それ抜き」が考えられない、非常に重要な存在になったのである。

ただし、直接戦闘に関わらない空中給油機は目立ちにくい存在であり、アメリカでさえ装備や機材の更新には予算が中々回せないことになっているようである。

航空母艦においては天候やトラブルなどによって着艦が一時延期となることがあり、同一艦隊に複数の空母を展開しない現在は空中給油機の存在は重要である。

給油機は艦載機として使えない、空母内に収容が難しい、専用より汎用を求めるなど理由から、専門となる空中給油機を持たず、バディポッドと呼ばれる給油用の装置と増加燃料タンクを搭載した戦闘機を空中給油機とする事もある。

参考資料

関連タグ

タンカー KC-130J

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