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霰(朝潮型駆逐艦)の編集履歴

2017/03/06 23:50:48 版

編集者:薔薇さま道場

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霰(朝潮型駆逐艦)

あられ

旧日本海軍に存在した駆逐艦名のひとつ。春雨型駆逐艦(7番艦)、朝潮型駆逐艦(10番艦)の2代があるが、本記事では後者として説明する。

艦隊これくしょん」に登場する艦娘については、「霰(艦隊これくしょん)」を参照のこと。

朝潮型駆逐艦「霰」の概要

ロンドン軍縮条約下で保有量を満たす計画「マル2計画」のうち、条約を破棄することを前提として建造された朝潮型駆逐艦の10番艦。舞鶴海軍工廠で1937年3月5日に起工し、1939年4月15日に竣工した。

就役後第18駆逐隊に編入される。

旧海軍の艦艇類別等級表においては本艦が10番艦になるが、竣工が同型9番艦「」より先んじたため、霰の方が9番艦となっている文献もある。似たケースでは高雄型重巡洋艦の3番艦「鳥海」、4番艦「摩耶」において、進水で摩耶が先んじたことからそちらを3番艦にしている文献があるが、竣工は同時となっている。

朝潮型最初の喪失艦に・・・

太平洋戦争開戦時は、同型駆逐艦の「霞」や陽炎型駆逐艦の「陽炎」、「不知火」と共に機動部隊の護衛として数多くの作戦に参加。

真珠湾攻撃時、南雲機動部隊の護衛として作戦に参加して以降、南雲機動部隊と行動を共にしている。第四艦隊事件以降神経質になっていた設計によって速力・航続力に欠き、航続距離が短いために燃料用ドラム缶を艦内に積んで行動していた。

1942年、ラバウル攻撃、ポートダーウィン攻撃、ジャワ南方機動作戦、セイロン沖海戦にて機動部隊の随伴艦として参加。しかしミッドウェー海戦では攻略部隊として参加し、長く随伴した空母機動部隊の最期に立ち会うことはできなかった。

その後、第18駆逐隊は航空母艦「千代田」と輸送船「あるぜんちな丸」の護衛としてキスカ島に向かう。1942年7月5日、霧に包まれたキスカで仮泊を強いられた第18駆逐隊には潜水艦「SS-215 グロウラー」の魔の手が忍び寄っていた。霧が晴れ、入港を試みようとした直後、グロウラーの一番目の標的となった「霰」に放たれた魚雷が左舷に命中、第一魚雷発射管が吹き飛ぶ。その後「不知火」「霞」も被雷し、残った主砲と第二魚雷発射管で反撃を試みるも潜水艦には効かず、グロウラーが更に放った魚雷の命中により艦体はV字に折れ、そのまま沈没した。艦長以外の乗員104名は「霰」と運命を共にしている。これにより、朝潮型最終艦にして最初の沈没艦となってしまう。この際、海軍内からは司令駆逐艦であった僚艦「霞」に対する非難の声が上がり、「霞」に座乗していた第18駆逐隊司令官である宮坂義登大佐は責任を取って切腹自殺を遂げるも失敗、一命を取り留めた。その後、第18駆逐隊は解隊となる。

余談だが、「霰」を撃沈した潜水艦グロウラーは、駆逐艦「時雨」の手によって撃沈されている。

「霰」沈没から64年後の2006年8月、沈没した米潜水艦「SS-216 グラニオン」捜索チームがソナーにより水深100mの海底に沈没している「霰」を発見。多くの遺骸が発見されており、吹き飛んだ第一魚雷発射管も発見されている。

主砲は真横を向いており、最期まで戦っていた何よりの証しである。

関連項目

朝潮型駆逐艦 高雄型重巡洋艦 霞(朝潮型駆逐艦)

春雨(駆逐艦):初代春雨は、日露戦争と第一次大戦で活躍した初代霰(1904-24)の同型艦。

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