プロフィール
本名 | ウーゴ・レオナルド・シウヴァ・セレージョ |
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国籍 | ブラジル |
出身地 | サンルイス |
身長 | 181cm |
体重 | 76kg |
ポジション | MF |
所属クラブ | クルセイド-イパチンガ-ボタフォゴ-グアラチンゲタ-ポルトゥゲーザ-アルビレックス新潟-鹿島アントラーズ |
通算成績(ブラジル) | 130試合5得点 |
通算成績(日本) | 122試合16得点 |
概要
豊富な運動量とボール奪取能力、そして高い展開力が彼の持ち味である
2013年から2016年まで所属していたアルビレックス新潟ではチームの心臓として活躍しプレー内外の礼儀正しさでファン、地域、新潟にとって無くてはならない存在となっていく。
...もっとも彼に頼り過ぎたのだけれども。
ハッピーターン
そのハッピーターン愛はチームの垣根を超え彼がTV番組で亀田製菓の工場見学へ行った際は他チームのファンまでもが美味しそうに出来立てのハッピーターンに頬張る彼を見るのだから...
アルビレックス新潟時代
レオ・シルバ選手が日本にやって来たのは2013年、この年加入するやいなやその瞬く間にチームに欠かせない存在となりアルビレックス新潟から「降格」の二文字を取り払う。
実際2013年彼やFWも含めた全ての選手が前線から強烈なプレスを掛け続け、相手DFからボール奪取することをいとわずにダッシュとチェイスを繰り返す、戦術名「レオ・シルバ」で前年度15位から7位に躍進し翌年も彼の八面六臂の活躍により12位で中位に滑り込むのだから。
そんな戦術レオ・シルバで残留していたチームは2015年、彼の病気帰国で窮地に立たされることになる。なんせ誰も彼の穴を埋められない、空いたスペースの対応が1歩どころか3歩も4歩も遅れるJ1どころかJ2以下のチームとして彼の後継者である小泉慶選手がそれに見合った動きができるまでのたうちまわる事になる。
その翌年はさらにひどくチームが慣れないポゼッションを主戦術に据えた結果いらん場面でもやたらめったら彼にパスしたせいで攻撃が遅れ得点力は落ち、彼への対応策が浸透したこともありチームは最低残留勝ち点記録を大きく更新する勝ち点30での残留となる。
そして、運命の2016年12月30日。Jリーグを代表するボランチ、レオ・シルバは鹿島アントラーズへと移籍する。