・・・・・・・・なのだが、ここのバスのイラストは、本記事が立ち上げられた2017年7月下旬の時点では1枚も無く、かつて運営していた鉄道線(if設定含む)のものしかない。
その点はお含みいただきたい。
概要
大分県北部のうちの大分市内、別府温泉の一部、国東半島の一部を縄張りとするバス会社。
かつては耶馬溪のあたりも縄張りとしていたが、現在は関連会社に移管している。また、国東半島の一部に関してもまた、別途関連会社に移管している。
1896年に大分と別府の間に路面電車を走らせるために設立された豊州電気鉄道が直系の前身。
その豊州電気鉄道の後身である別府大分電鉄が、1945年に別杵自動車と言うバス会社と、大分県内の4つの鉄道会社を吸収合併したことで、今の大分交通が成立した。
だが鉄道事業は、1975年3月いっぱいをもって撤退した。
なお、大分県には、似た様な名前の大分バスなるバス会社が存在するが、こことは一切関係ない(そもそも縄張り原則として大分県南部および湯布院だし)。