・・・・・・・・なのだが、ここのバスのイラストは、本記事が立ち上げられた2017年7月下旬の時点では1枚も無く、かつて運営していた鉄道線(if設定含む)のものしかない。
その点はお含みいただきたい。
概要
大分県北部・東部のうちの大分市内、別府温泉の一部、国東半島の一部を営業エリアとするバス会社。
かつては耶馬溪のあたりも営業エリアとしていたが、現在は関連会社に移管している。また、国東半島の一部に関してもまた、別途関連会社に移管している。
1896年に大分と別府の間に路面電車を走らせるために設立された豊州電気鉄道が直系の前身。
その豊州電気鉄道の後身である別府大分電鉄が、1945年に別杵自動車というバス会社と、大分県内の4つの鉄道会社を吸収合併したことで、今の大分交通が成立した。
鉄道事業は一時期5路線を有していたが、1975年9月30日をもって撤退し、それ以降はバス専業事業者となった。2004年には旧本社および別大線新川車庫の跡地を再開発し、ショッピングモール「Dプラザ」を開業させている。
1940年から2003年まで、西日本鉄道の系列会社であった。しかし出資比率が下がったため西鉄グループを離脱している。現在の筆頭株主は宇佐市の不動産管理会社「株式会社宇佐八幡駐車場」。
なお、大分県には、似た様な名前のバス会社・大分バスが存在するが、こことは一切関係なく、主に大分県中部や南部を営業エリアとしている。
営業所・車庫
- 大分交通本社
- 大分営業所(大分市)
- 別府営業所(別府市)
- 国東営業区(国東市国東町)
- 大交北部バス
- 中津営業所(中津市)
- 日田車庫(日田市)
- 中津営業所(中津市)
- 耶馬渓営業所(中津市耶馬渓町)
- 高田営業所(豊後高田市)
- 伊美車庫(国東市国見町)
- 安心院営業所(宇佐市安心院町)
- 四日市車庫(宇佐市)
- 安心院営業所(宇佐市安心院町)
- 国東観光バス
- 杵築営業所(杵築市)
- 国東営業所(国東市国東町)
- 玖珠観光バス
- 玖珠営業所(玖珠町)
都市間バス
- とよのくに号スーパーノンストップ便 福岡-大分
- サンライト号 長崎-別府・大分
- パシフィックライナー 別府・大分-延岡-宮崎
- SORIN号 京都・大阪・神戸-中津・別府・大分
- 大分バス・近鉄バスと共同運行。
空港連絡バス
- エアライナー 大分・別府-大分空港、別府-大分空港
- ノースライナー 中津・宇佐-大分空港
- 大交北部バスの運行。
- 湯布院高速リムジンバス 湯布院-大分空港
- 亀の井バスとの共同運行。
- 佐臼ライナー 佐伯・臼杵-大分空港
- 大分バスとの共同運行。
かつて運営していた鉄道路線
別大線
日豊本線の大分駅前と亀川駅(別府市)前を結んでいた路面電車路線。
1900年5月に別府-堀川間が開業、1942年に全線開通した。
実は九州地方で初めて走った電車路線だったりする。
国道10号線上を走っていたが故に、1960年代半ば以降の道路事情悪化などから、大分県や大分市、別府市から「撤去して下さい」と言われたため、1972年4月5日全線廃止された。
豊州線
日出生鉄道(後の豊州鉄道)の手によって1914年に開業した。
豊前善光寺駅(開業当初は四日市駅)と豊前二日市駅(宇佐市院内に存在した)を結んだナローゲージ(762mm)路線。
開業当初から経営・運営は相当苦しく、大分交通に統合後の1950年にはバス・トラックによる代行運送に切り替えたが、その矢先に台風で橋脚が破損してしまう事態に見舞われた。
結局それが元で1953年9月に全線廃線となった。
宇佐参宮線
宇佐駅から豊後高田駅および宇佐神宮駅を結んだ路線。
宇佐参宮鉄道の手により1916年3月に開業した。
路線距離が合わせて8.8㎞しかなかったからか、大分交通に統合後は並行して走っていたバスの方に比重が移ってしまい、結果1965年8月20日に全線廃止された。
なお、豊後高田から先にも路線を延ばし、後述の国東線(国東鉄道)と接続させる計画もあった。
国東線
杵築駅と国東市に存在した国東駅を結んだ路線。
国東鉄道の手によって1922年7月に杵築駅と、杵築市中心部に存在した杵築町駅の間が開通した。その後何度かの延長を重ねて1935年11月に国東駅まで開通している。
1961年10月の集中豪雨でほとんどの鉄橋が流されてしまうという不運に見舞われてしまう。その結果被害の酷かった区間は長期運休を余儀なくされた。
結局1964年8月に先の区間も含んだ国東駅-安岐駅(国東市安岐町に存在した)間が廃止される。そして残りの区間も1966年3月に廃止された。
ちなみに大分空港が現在の国東市安岐町に移転が決まったのは廃止翌月の1966年4月のことであった。故に「廃線思いとどまった方がよかったんじゃないの?」という声もごく一部ではあったとかなかったとか。
耶馬溪線
中津駅から中津市にあった野路駅を経て中津市山国町に存在した守実温泉駅を結んだ路線。耶馬溪、青の洞門、羅漢寺と言った観光地を控えていた。
1913年に中津駅-野路駅-洞門駅(当初は樋田駅)間が開業、1924年に全線開通を果たしている。
元々は軌間は762mmであったが1929年に1067㎜に広げている。
1971年9月に野路駅-守実温泉駅間が廃線となり、残りの区間も1975年9月に廃線となった。そしてこれに伴い、大分交通は鉄道部門から撤退した。
関連タグ
キハ603:元々はここの耶馬溪線で使われていた車両であった。