大分交通が導入し、廃線後に紀州鉄道に譲渡された気動車。本項では大分交通時代と紀州鉄道時代に分けて述べる。
※記事名は「キハ603」となっていますが、紀州鉄道の車両として活躍していた期間が長く、利用者・ファンの間でも「キハ603」「キハ604」の呼称が用いられていたため、この記事名としています。
大分交通時代
1956年と1960年に各2両ずつ、計4両が製造された。601は「やまびこ」、602は「しおかぜ」、603は「かじか」、604は「なぎさ」という愛称がついていた。当初、602と604は国東線で使用されていたが同線の廃止により耶馬渓線へと集結した。耶馬渓線の廃止後、601と602は中津市の民宿で保存され、当時まだ製造後15年程度であった603と604は紀州鉄道に譲渡された。
エンジンにDMH17C、車体構造も非貫通2枚窓の前面を除けば国鉄キハ10系に近いが、特徴として駆動軸側により大きい荷重がかかるようにした偏心台車の日本車輌製造製ND208B形を採用している。
紀州鉄道時代
1975年に前述の2両を譲り受けた。室内の蛍光灯化や総括制御対応改造、冷房化といった大きな改造を受けることもなく車内のクロスシートも含めて大分交通時代に近い状態であった。
20年以上もこの2両のみで紀州鉄道の全運用を支えつづけたが、2009年のキテツ1形の導入後は予備車となり、主に週末のみの運行となった。
上記の通り、塗装や車内設備も含めて大分交通の頃とほぼ同じ形態を保っていたこともあり、晩年は希少な旧型私鉄気動車として鉄道フアンからの人気が高かった。
なお予備車に格下げ後、キハ604は相方のキハ603へ予備部品を供出するため燃料噴射ポンプなどを取り外されて走行不能となった。その後、同車は2010年に解体されている。
キハ603は2009年10月に34年間に渡った紀州鉄道での定期運用を終了し、2012年に廃車となった。廃車後も長らく紀伊御坊駅に留置されており、そのまま解体の噂もあったが、2017年に御坊市内の「ほんまち広場603」(紀伊御坊駅東側)に移動、静態保存された。
なお大分交通時代から引き継いだクリーム(白)に緑色の組み合わせという車体塗装は紀州鉄道の標準色として導入され、次代車両のキテツ1形(キテツ2)、現有車両であるKR301(元信楽高原鐵道)にも塗装されている。