一条兼定 とは 土佐西部に勢力を置いていた戦国大名である。
概要
一条兼定は土佐の国司の地位だったが、内政を怠たり財政難を招くほど怠けていたという。
兼定に反発していたある家臣が抗議したが、その途中で兼定に斬られてしまう。
その結果家臣は次々と兼定の元を去ってしまい、最終的に長宗我部元親により四国を追われる羽目となった。
兼定は九州に落ち延びキリスト教に改宗し、頼っていた大友宗麟の後援兼定を得て旧領回復を目指したが、長宗我部軍によって半日足らずで惨敗し失敗した。
さらにその後、長宗我部氏に寝返った元家臣に襲われ片腕まで失った。
兼定は程なくして病死した。