片岡易之
かたおかやすゆき
千葉県千葉市出身のもとプロ野球選手。
※本名は「片岡保幸」だが、2005年から2012年まで登録名を「片岡易之」としていたため、当記事にて解説する。2013年以降の登録名は「片岡治大」。
プロ野球選手としての活躍
2005年ドラフト5位で西武ライオンズに入団。背番号7を与えられる。2006年にセカンドのレギュラーに定着し、前年の6盗塁から28盗塁と大幅に伸びた。
2007年は故障の影響もあったが、盗塁王のタイトルを獲得。
2008年から1番に定着し、リーグ優勝に貢献。2番を打っていた栗山巧と共に最多安打、パ・リーグでは松井稼頭央以来となる50盗塁で盗塁王を受賞。日本シリーズでも7試合5盗塁と大暴れし、最終戦では逆転の足がかりとなる盗塁、ノーヒットでの得点を決め、日本一に貢献した。
2009年にWBC日本代表に選出。イチローにピノみたいと称された。大会で1位タイの4盗塁を決め、WBC2連覇に貢献。その後のシーズンでも自己最多の51盗塁で3年連続の盗塁王に輝く。
2010年は3年連続50盗塁を達成し、故障で離脱するまでに自己最多の59盗塁を記録。本多雄一と並び、4年連続の盗塁王に輝いた。
2011年はキャンプ中に足を故障。序盤は一軍にも出場していたが、次々とケガを負って出場は86試合出場にとどまる。
2012年は出場機会が少なく同年オフに登録名を片岡治大(読み同じ)に変更した。2013年オフにFAで読売ジャイアンツに移籍。
2014年はチームトップの24盗塁で優勝に貢献した。2015年は2010年以来となる二桁ホームランと通算300盗塁を記録。しかし2016年は下半身の不調があり成績が低迷。2017年は右膝の故障で1軍出場そのものがなかったため、同年現役引退を決断した。