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※本名は「片岡保幸」だが、2005年から2012年まで登録名を「片岡易之」としていたため、当記事にて解説する。2013年以降の登録名は「片岡治大」。

概要

出身千葉県千葉市
生年月日1983年2月17日
身長・体重176cm、78kg
投球・打撃右投右打
守備位置二塁手
プロ入り2004年ドラフト3位

プロ野球選手としての活躍

2005年ドラフト5位で西武ライオンズに入団。背番号7を与えられる。2006年にセカンドのレギュラーに定着し、前年の6盗塁から28盗塁と大幅に伸びた。

2007年は故障の影響もあったが、盗塁王のタイトルを獲得。

2008年から1番に定着し、リーグ優勝に貢献。2番を打っていた栗山巧と共に最多安打、パ・リーグでは松井稼頭央以来となる50盗塁で盗塁王を受賞。日本シリーズでも7試合5盗塁と大暴れし、最終戦では逆転の足がかりとなる盗塁、ノーヒットでの得点を決め、日本一に貢献した。

2009年にWBC日本代表に選出。イチローピノみたいと称された。大会で1位タイの4盗塁を決め、WBC2連覇に貢献。その後のシーズンでも自己最多の51盗塁で3年連続の盗塁王に輝く。

2010年は3年連続50盗塁を達成し、故障で離脱するまでに自己最多の59盗塁を記録。本多雄一と並び、4年連続の盗塁王に輝いた。

2011年はキャンプ中に足を故障。序盤は一軍にも出場していたが、次々とケガを負って出場は86試合出場にとどまる。

2012年は出場機会が少なく同年オフに登録名を片岡治大(読み同じ)に変更した。2013年オフにFAで読売ジャイアンツに移籍。

2014年はチームトップの24盗塁で優勝に貢献した。2015年は2010年以来となる二桁ホームランと通算300盗塁を記録。しかし2016年は下半身の不調があり成績が低迷。2017年は右膝の故障で1軍出場そのものがなかったため、同年現役引退を決断した。

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