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概要

所属埼玉西武ライオンズ(1)
出身兵庫県
生年月日1983年9月3日
身長・体重177cm、85kg
投球右投げ
打撃左打ち
守備位置外野手
プロ入り2001年

2001年ドラフト4位で西武ライオンズに入団。

2005年から頭角を現し始め、2006年シーズン終盤に一軍に定着。この年のセ・パ交流戦で上原浩治からライバル宣言される。

2008年からは背番号が「52」から「1」に変更となると同時に2番に固定され、自己最多の138試合に出場しリーグ優勝に貢献。初の打撃タイトルとなる最多安打(同僚の片岡易之(現・片岡治大)と同時受賞)とベストナインを受賞した。

2010年にはチームの外野手として史上初の144試合フルイニング出場を果たし、ベストナインのほかにゴールデングラブ賞も受賞。

2011年も144試合フルイニング出場を達成し、後半戦では1番でチームを牽引した。

2012年からはキャプテン(2016年まで5年間務めた)。

2016年はオールスターに初出場し、初打席で初ホームランを決めた。


2021年9月4日楽天戦にて、同球団生え抜き選手初(史上54人目)の2000本安打を達成。(西武球団はこの年が創設72年目である。)全盛期の大半を小技も求められる2番打者として過ごしたことも考えると異例の達成である。

この試合では、打たれた投手が牧田和久、捕手が炭谷銀仁朗、先発投手(ならびに勝利投手)が岸孝之、そして監督が石井一久と、元西武の人物が多かった。


2023年4月23日オリックス戦にて、第1打席に山下舜平大相手に四球を選び通算1000四球を達成。目立たない記録ではあるが、達成者は栗山が17人目(同期の中村の450本塁打で14人)と上記の2000安打と比べても非常に稀有な記録である。栗山の全盛期は「積極的に振りに行くスタイル・後ろに強打者の控える1,2番打者なので勝負を避けられにくい」と四球を「貰い」にくい環境だったため、ファンからは「奪い取った四球」と讃えられた。なお、この試合では自身10年振りに1試合4四球(この日4打席で全て四球)を選び、通算四球を一気に1003まで押し上げた。


気づかれにくいが、2023年現在、現役で最も多くの犠牲フライ(71犠飛)を打っている打者である。これは通算でも16位につける偉大な記録。安打や四球と同じく2番打者ではなかなか稼ぎにくい数字であることも相まって、その「仕事人」ぶりに拍車をかけている。


同期で同学年、同じ関西出身の中村剛也とは”骨牙コンビ”」と呼ばれている(2017年の球団が作成した選手ポスターでの「真獅子の、骨と牙」が由来)。ちなみに、FA宣言などで他球団に流出する選手が多い中で中村とともに20年以上もライオンズに在籍し続けている。



打席に入る際の登場曲は、クレイジーケンバンドの「あ、やるときゃやらなきゃだめなのよ。」である。2017年に登場曲を流す時間が10秒程まで短縮された際に「中途半端になってしまう」との理由で登場曲が無音(登場曲無し)になった時期があったが、その際は登場曲代わりにスタンドのファンから大合唱が行われていた。2020年の無観客試合以降は復活している。


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