ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

新砲戦車(甲)の編集履歴

2017-11-09 21:59:19 バージョン

新砲戦車(甲)

しんほうせんしゃこう

新砲戦車(甲)とは、大日本帝国陸軍が開発していた砲戦車(火力支援車両)である。

砲戦車とは

戦車部隊の主力戦車(中戦車及び軽戦車)での素早い対処が困難な傷害(戦車・対戦車砲)を取り除いたり、発煙弾を使用して煙幕を張り敵の行動を妨害したり、時には敵の攻撃を引きつけ味方戦車部隊の盾となることで、その進退を円滑にする補助的な車両である。

そのために、砲戦車には共通事項として主力戦車と比して強力な大口径砲と主力戦車と同等以上の装甲、さらに整備性を考慮し中戦車をベースにすることが要求された。

ただし、主砲の搭載方式や重要視すべき排除対象にかんしては時代によって異なる。

例えば、砲戦車の概念が固まった最初の頃である1941年の後半~1943年の前半では、砲戦車が優先して排除する相手は対戦車砲陣地であり、主砲の搭載方式は可能な限り旋回砲塔式かそれに近い方式であることが求められた。その搭載砲も対陣地攻撃を重視した短砲身75~105mm級火砲であり、対戦車戦闘には不向きであった(対戦車は駆逐戦車に優先して任せる予定だった。)


しかし1943年の後半からは戦車が大きく進化したため対戦車戦闘が重視され、世界の趨勢に一刻も早く追いつくため、旋回砲塔式にこだわらなくなり、駆逐戦車的な面が強くなった。

概要

本記事で扱う新砲戦車(甲)は後者であり、主力戦車に位置付けられた試製五式中戦車(以下チリ車)を支援・補助するべく開発計画された。仮想敵国であるソビエト連邦(以下、赤軍)が使用する新型重戦車に対抗するため、主砲に長砲身105mm砲を固定砲塔式に搭載し、さらに厚さ125mm程度の強固な装甲を施す予定だった。


なお、開発当時の技術では、長砲身105mm級火砲を旋回砲塔式に搭載する事は困難であり、出来たとしてもそのような戦車の量産、運用は不可能であった。


(旋回砲塔式に搭載できる砲の限界は長砲身75mmクラスまでとし、施せる装甲も機動性や重量を考慮し75mmまでとされている。これがチリ車の要求性能の由来でもあり、赤軍の使用する新型重戦車に対抗するための能力は不十分であると初めから懸念されていた。しかし、主力であるため旋回砲塔式は必須であり、これを諦めるという選択肢も無かった。その解決策こそが新砲戦車(甲)の開発のだったのである)


その大まかな役割は、その大火力と重装甲を持って、対重戦車戦の中核となることでチリ車を援護し、これを敵に接近させることである。

開発時の名称はホリまたはホリ車である(以下ホリ車と表記)。

武装

武装は試製十糎戦車砲(長)が固定砲塔正面に1門、副武装として車体正面に機関銃1挺と双連式の一式37粍戦車砲1門、固定砲塔天板に対空兵器として機関砲が搭載される予定だった。

主砲

この砲は当初、同時期に計画されていた新型の105mm対戦車砲と同じ性能とし、1000mで200mmの装甲板を貫通することが求められたが、現時点ではそのような火砲を1~2年以内に開発することは困難とされたため、妥協して要求性能は1000mで150mm貫通することが目標となり、200mm貫通はその後に目指すということになった。砲は装塡速度を補うことが目的で半自動装塡装置が追加された。


砲は装塡装置の不具合など、幾多の困難を乗り越え1945年半ばに完成したが、量産化は絶望的だった。その少し後に日本は無条件降伏を受け入れ終戦を迎える事になる。


装甲・機動性

最大装甲厚である125mmという数値は、赤軍が使用する重対戦車砲を1000m内外で防げるように想定されたモノである。側面は25mmであった。

移動性能は、チリ車に追尾出来るようにチリ車とだいたい同程度とされ、予定重量は約40tとされた。

ホリ車の形状はいくつか案が存在しヤークトティーガーフェルディナンド駆逐戦車に類似した案もあったが実際に採用されたのはどの案であるかは不明。


関連タグ

駆逐戦車 砲戦車

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました