土田御前とは戦国時代の大名織田信秀の正室(????~1594)。
織田信長、織田信勝、織田秀孝の母。織田信包も彼女の子と言われるが詳細は不明。読み方は『どた』とも『つちだ』とも言われている。
概要
尾張(もしくは美濃)の豪族土田政久の娘と言われるが詳細は不明。
一度離縁を経験した織田信秀の元に嫁ぐ。1534年に嫡男信長を出産、その数年後に次男信勝を産む。
うつけと言われた信長を疎み、品行方正な信勝を溺愛したという。夫信秀の死後は信勝と共に末森城に住んだ。
後に信勝が謀反を起こして失敗すると信長に助命を嘆願し、一度は赦免させる。しかし信勝は再度謀反を計画して結局誅殺されてしまう。
その後の彼女の足跡は不明だが、本能寺の変後は孫の織田信雄の元に身を寄せる。やがて信雄が改易されると信包を頼って伊勢安濃津に移り、1594年に同地で没した。
戦国時代に限らずよく見られる長子を疎み、次子をかわいがった母親の代表とも言える人物。そのため、信長の厳しい人格形成の一端を担った人物として描かれることもある。
戦国大戦にも登場。従来のイメージ通り信長を疎み、信勝を溺愛する母親として描かれる。キセルを片手に持った妖艶な美女のデザインとなっている。
『信長では国が持たぬ。聡明な信勝こそが世継ぎにふさわしいのじゃ』