アメリカ合衆国が戦後にビキニ環礁で行った核実験『クロスロード作戦』で生き残った米戦艦「ニューヨーク」に書かれていたという逸話。
実験の目的は主に艦船に対する核兵器の威力検証であり、集められた艦艇数は70隻を越える。
なお、その中には、枢軸国から徴収された戦艦「長門」巡洋艦「プリンツ・ユージン」こと「プリンツ・オイゲン」「酒匂」も参加していた。
1946年7月1日
第一(空中爆発)実験エイブル作戦実施。
このときの実験で酒匂は轟沈。
長門及びプリンツ・ユージンはまだ健在。
1946年7月25日
第二(水中爆発)実験ベーカー作戦実施。
実験後、米軍調査隊の見たニューヨークの船体には、このように書かれていたという……
――Old Navy Never Die.(海の古強者は死せず)
その後、ニューヨークは、クェゼリンへと曳航され、残存放射能の調査後、再び標的艦となって沈められたという。
また、この実験の4日後長門が誰にも悟られず7月28日深夜~29日未明に沈んだことから、長門の元艦長夫人は「幾万もの英霊たちが水底をささえているのですよ」というコメントを残している。
真相
実際はクロスロード作戦で標的艦となったが最後まで沈まなかった米戦艦「ニューヨーク」のことを"Old Sailors Never Die"と評したという逸話と、長門が祖国を守りきれなかった贖罪と、敵に討たれるのではなく自決を決めた武士(もののふ)と混同されたものである。他にも生き残っている艦がおり、プリンツ・オイゲンは今でもクェゼリン諸島で座礁している。
長門はベイカー実験において、誘爆実験として甲板上に機雷を括り付けられ、傾斜復元のためとはいえ船体に穴まであけられた状態であり、相当過酷であったことからその説が真偽の域を出ないにしても、ニューヨークの方が古参で米艦、しかも状態はニューヨークより長門が劣悪だと考えると……ということである。
現在
長門沈没地点はダイビングスポットとなっている。
放射線の影響のため艦体に触れる事は許可されていない。
だが沈没状態とはいえビッグ7の中で現存しているのは長門だけである。