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センシティブな作品

概要

1845年に木工会社として設立されたが、いつの間にやら機械メーカーになっていた。

その後、ダイムラーのガソリンエンジンのフランスでのライセンス生産の権利を得たことをきっかけにエンジンメーカーに転身、さらには1890年、フランス初のガソリン自動車開発に成功した。その翌年には世界で初めてフロントにエンジンを載せた自動車の開発・実用化に成功した(それまでの自動車は全てリアにエンジンを配置していた)。

さらにはトランスミッション(いわゆるマニュアルミッション)実用化、フロントラジエーターや丸形ステアリングホイール(ハンドル)の採用を行った。これらは現代の自動車には当たり前のものと言えるものであり。このメーカーのチャレンジ精神的なものが伺える。

ただ、20世紀に入ってからは保守的な高級車中心のメーカーに成り下がってしまう。

第二次世界大戦後は高級車の需要が大幅に減ってしまったこともあり小型車メーカーに転身した。

ところが、生産規模があまりに小さいままだったため、その分製造コストは高騰してしまった。結果、今のトヨタで言えばプリウスの価格でヴィッツを売るような状態に陥るという有様、むろん売れる訳はなく、経営状態は常に傾きっぱなしであった。

1955年にシトロエンの傘下に入る一方、意欲的な新型車を送り込んでいった。だがデザインや機構があまりに個性的故に一般には受けず、一部の強烈なマニアを引きつけるに留まったがゆえに、業績は回復せず、1965年に乗用車部門はシトロエンに引き取られてしまう。これに伴い軍用車専門メーカーに転換し、現在に至る。

なお、シトロエンは、パナールブランドの乗用車の生産・販売を1967年に打ち切った

絵崎コロ助が買った車として登場。

フランスのディーラーに勧められ200万フラン(当時のレートで4000万円前後)で買い、日本へ空輸するが、ボディは同社のPL17であるもののエンジンはワーゲン、メーターパネルはフィアット、ウインカーはアウディ、ライトはイギリスのマーシャルのパーツを使い、タイヤはヨコハマ&ブリヂストン&グッドイヤー&ピレリーといったポンコツであった。車はそのまま絵崎のへたくそな運転で隅田川にダイブした。

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フランス 自動車

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パナールの編集履歴2019/01/13 17:48:59 版