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ルドルフ1世

るどるふいっせい

歴史上、複数名存在したドイツ系の王侯貴族の名前。 ここでは13世紀後半の神聖ローマ皇帝でハプスブルク家の祖となったルドルフ1世を紹介する。

概要

1218年生~1291年没

ローマ(ドイツ)王(在位1273年~1291年)

神聖ローマ皇帝(在位1273年~1291年)

ドイツ貴族であるハプスブルク伯アルブレヒト4世の子。

当時の神聖ローマ皇帝であったフリードリヒ2世が名付け親であるが、この時点でのハプスブルク家はまだ神聖ローマ帝国及びドイツにおける有力な家門では無かった。

若い頃の神聖ローマ帝国内部は皇帝フリードリヒ2世による皇帝派と教皇派で争われていたが、ルドルフは皇帝派に属して教皇派の分家と争い、次第に勢力を拡大していきスイスにも勢力を築いた。

フリードリヒ2世の時代の後はホーエンシュタウフェン朝の断絶やその後の帝位を巡る混乱で神聖ローマ帝国は大空位時代を迎えていたが、1273年に教皇や選定侯ら有力貴族によりドイツでは弱小貴族で50歳を超えていたルドルフが敢えてローマ王に選出される事になり、同時に神聖ローマ皇帝となり大空位時代は終焉を迎えた。ただし、神聖ローマ皇帝として厳密に言えば生涯一度も戴冠はしていない。

即位後は周囲の予想に反してリーダーシップを発揮し、ローマ王選出に反対したボヘミア王オタカル2世と激しく争った末に1278年にマルヒフェルトの戦いでオタカル2世を討ち果たし、その後はオーストリアも獲得して本拠をウィーンに移しハプスブルク家躍進の礎となる。

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