概要
どろろという作品の数多くのメディアミックスとして共通しているのは「親に捨てられ幼い頃から妖怪に命を狙われ、また手足がない不自由さから死に物狂いで努力を重ねてきた百鬼丸」と「武家の嫡男として両親に愛され何不自由なく育てられてきた多宝丸」という実の兄弟でありながら対照的な二人として描写されている。
原作では「ばんもんの巻」で邂逅。
初対面では多宝丸が百鬼丸の剣の腕を賞賛し屋敷に連れていくが父醍醐景光と対面させた所で多宝丸は百鬼丸へ敵意を拗らせていく。
お互いに実の兄弟であると知らずにばんもんの前で斬り合いの末、多宝丸は斃れる。
決着の間際、九尾の狐によって目の前の男が自分の弟だと知った百鬼丸はその後一時は自殺未遂を図る程思い悩むこととなる。
旧アニメ版では概ねの筋は原作通りだが、多宝丸の最期のみアニメオリジナル描写で自分は兄だと語る百鬼丸の頬に唾を吐きつけ「悪ふざけが過ぎるぜ…」と捨て台詞を吐いて死ぬ。
ただし、旧アニメを単行本化したペーパームーン・コミックス版では上記の台詞に続いて「…そうかい…あんた…おれの…兄さん」「ふっ、おそすぎるよ…兄さん…あばよ…。」と弟として兄を呼んだのち息をひきとるという旧アニメとは印象が全く変わる台詞が追加されている。
1978年に執筆された辻真先の旧アニメを下敷きにした小説版では、多宝丸はばんもんの戦いの際百鬼丸と共に川に流され、朝倉領に入ってしまい一時百鬼丸と行動を共にする。父の犯した罪を知った後、多宝丸の下した決断は…。
どろろのメディアミックスの中でも貴重な「妖狐に傷を負わされた多宝丸を弟と知ったことから親身に手当てする百鬼丸」という兄弟らしい交流が唯一描写されている。
実写映画版では、本来多宝丸という名は生まれる筈だった百鬼丸に与えられる名だったということから、「多宝丸は俺だ!」と己の存在意義を主張するかのように百鬼丸と刃を交える。最終的に生き返った多宝丸は兄がいつか国を継ぐために仮の領主として醍醐の国を守っていくと誓った。
2019年版新アニメではそれまで悪役然としていたキャラクターから一変、正統派主人公のような実直な正確に改変および百鬼丸の生い立ちと対比するかのように原作よりも多宝丸の描写が多く増やされている。アニメ10話ラストで邂逅し、それまで訝しんでいた両親の秘密である「鬼神へ百鬼丸を生贄に捧げた事実」について知り、「それでも人の親ですか」と糾弾するが(2019年舞台では「私の兄上です!!」と景光に食ってかかるように劇的に描写されている)景光からの詭弁により兄と国の民を秤にかけさせられることを強いられ、葛藤の末兄を斬ることを決意する。
12話の時点では一対一で勝負を挑み、また兄を斬ることに対して迷いがあったものの、のちの18話では(結果的に失敗しているが)冷酷に徹しようと従者の陸奥や兵庫と三人で百鬼丸を殺そうとしている。
「お互いの身分や正体を知らずに出会い交流を深めるものの、環境や時代の流れによって将来的に敵同士で対峙する少年達」という構図はどろろの他に手塚作品によく見られる関係性であり、その中でもどろろの百鬼丸と多宝丸の兄弟はそれなりに知名度の高い悲劇と言えるのではないだろうか。