概要
伊達家9代目当主。
8代目・宗遠の嫡男で1377年、父から家督を譲られる。
1380年ごろから出羽方面へと侵攻、置賜郡の長井氏を滅ぼしてここを200年以上治める基盤をつくる。
1400年ごろ、鎌倉公方家が広大化した領地の割譲を求めるも拒否。
大崎氏らと連携して対立する(伊達政宗の乱)
しかし、1402年、大崎詮持が戦死したのもあって寒河江氏ら出羽の領主に居城を包囲される。
1405年、延長線上の戦いの最中に死去。
出羽侵攻などで勢力を広げた政宗は中興の祖としてたたえられ8代後の子孫に名前が付けられることになった。
ちなみに子は氏宗しかいなかったとされる。