概要
その後家康の関東移封により中村一氏が入城し改修した。
1607年、将軍職を退き大御所となった家康は城を拡張・大改修し三重の堀と六重七階の天守を持つ大城郭となった。
天守は、1607年に建てられたが完成間近に城内からの失火で焼失、直後に再建されたが1635年に城下の火災が城に延燃し焼失。以降再建されることはなかった。残された天守台は、石垣上端で約55m×48mという城郭史上最大級の規模であったが明治時代に取り壊された。
現在、城跡は駿府城公園として整備されており櫓や城門が復元されている。
余談
江戸時代の随筆「一宵話」によると1609年、駿府城の中庭に肉塊のような者が現れたという。小児くらいの大きさで手はあるが指はなく肉人とでもいうべき者だった。捕まえようとしたがすばやく動いて捕まえられず当時駿府城に住んでいた家康が、その者を外へ追い払うよう命じたため、家来たちは捕獲をあきらめて城から山のほうへと追い出したという。